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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1901

旭川の年末は「氷点下でないのは暖房が効いている屋内だけ」と言う天気予報の最低気温と相談しながら生活を考える季節になる。それでも年明けから始まる極寒の予告編だ。牧場では春、夏、秋には放牧して草を食べさせ、排便も済まさせていた牛たちに干し草と飼料を与え、糞尿の処理も頻繁になるので仕事が増え、運動不足によるストレスで体調を崩さないかを常に観察する必要もあって心身ともに大変な時期だ。さらに北部方面隊の即応予備自衛官にとっては冬季も訓練の最盛期であり、森田予備士長には休む暇もない。
「松山中隊長の現住所は判りましたか」そんな仕事の合間を見つけて森田予備士長が安川3曹に電話をかけた。遅れ気味の年賀状を書くのに今でも「大恩人」と感謝し、「人生の師」と敬慕している松山千秋3佐を忘れる訳にはいかない。おまけに今回は愛媛の父の実家で撮った照子の花嫁姿の自信作なのだ。しかし、春先に安川3曹から届いた唐突な退職の連絡には新たな住所や職業はなく、その後も情報が届いていないので年賀状の宛先が書けないでいる。
「それが中隊本部でも判らなくて退職後に届いた郵便物なんかを転送できなくて困ってるらしいんだ」電話口で安川3曹も心底困り果てたように答えた。安川3曹が部内の幹部候補生の1次試験に合格したことは名寄の同じ中隊で仲良くしていた士長から聞いているので、こちらも年賀状で知らせたいのだろう。
「今年の夏に滋賀が辞めたんでしょう。だったら松山中隊長が辞めることなかったんですよね」「どこか田舎の議会の選挙に出て政治家になるって噂だったけど、そうじゃあなかったみたいだ」安川3曹は森田予備士長が松山3佐の退職理由を滋賀徳次郎総監の不当人事に対する反発と考えているようなのであえて否定した。このような状況判断力は幹部候補生の2次試験の面接の練習でかなり向上している。それにしても予備自衛官の森田が北部方面総監だった滋賀徳次郎陸将を呼び捨てにしたのは腹に一物どころではない怨嗟が溜まっていると言うことだ。
「それで安川3曹は今年も愛知県には帰省しないんですか」松山3佐の現住所に関する問い合わせが不調に終わったところで森田予備士長の方から話題を換えた。安川和也3曹と聡美夫婦は愛知県稲沢市の出身だが、聡美と教師である両親は絶縁していて、聡美自身も高校時代に男子生徒に弄ばれた過去があるため名寄に来てからは帰省していない。その代わり安川の両親や聡美の弟が北海道を訪れている。特に大学生の弟はスキーを目的に冬休みに来ることが多い。
「今年は弟が就職だから2人で静かに過ごすよ。俺も事故を起こせば2次試験を受ける前に不合格になってしまうから自重せんとな」「それじゃあ、ウチに遊びに来ませんか。スキーを持ってくれば久しぶりに自分のトレーニング・コースで競争しましょう」安川3曹の予定を聞いて森田予備士長は思いつきで提案を返した。この場当たり的反応は道産子=北海道人の得意技だが、伊予人=愛媛県人の血統で全国各地育ちの森田予備士長が北海道に根を下ろした証左なのかも知れない。森田予備士長は名寄に着隊した時、同じ分隊になった安川3曹から「曹侯補士は陸曹の考え方をしろ」と言われて知識を学び、訓練で鍛えられ、服務指導で躾けられ、遊びにも連れ回してもらった。その安川3曹が幹部候補生に合格すれば多分2度と会えなくなる。年末年始に屯田兵としての現在を見てもらい、酒を酌み交わして語り合いたいのだ。
一方、照子は書店の店員と地方ローカルFMのDJを続けている。春の出産は旭川市内の病院で迎える予定なので臨月までこの生活を維持するつもりだ。
「照子さん、そろそろ歩道も凍結しているから少しくらい遅れても気をつけて歩いてきてね」同じ年の店長は独身だが、地元の人気DJでもある照子が通勤の途中で母子の身に危険が及べば商売にも悪影響を与えることを経営者として心配している。照子は安定期に入って腹もかなり膨らんできているが、厚着するにもマタニティーのコートは膝に巻きつくほど長い上に厚い生地と裏地の二重構造で重く、凍った道を歩くには不便だ。
「はい、爪先で気をつけて歩くようにしていますけど、腹で足元が見えないのでつまづきそうになることもあります」今は歩道が除雪されているが、降り続く雪が凍った路面に積もるようになれば滑るだけでなく落ちている小物につまづくことを心配しなければならない。
「照子さんの交代の高校生も学年末試験が終われば就職先に実習に来れるから早めに辞めても良いわよ。旦那さんと一緒に暮らした方が赤ちゃんも安心するでしょう」「有り難うございます。夫も旭川の訓練の前後には私のアパートにも泊まっていくんですが、訓練中は駐屯地泊だからずっと一緒と言う訳にはいきません」説明しながら照子の目からは涙が溢れだした。これは本人も意図していない突然の生理現象だ。妊婦は自覚がないまま感情が高ぶり、抑制が効かなくなることがあると言われているが、客商売には少し困ってしまう。店長は独身だけに鼻をすすりながらハンカチで涙を押さえている照子を冷めた目で眺めていた。
け・音無響子イメージ画像
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  1. 2020/04/30(木) 13:47:28|
  2. 夜の連続小説8
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