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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1904

「それは全くなかったな」ノザキ中佐は一切の感情を交えず驚くほど明確に否定した。しかし、スザンナと志織はその理由が判っているようで凍りついたようになって父の顔を凝視している佳織の前でグラスの酒を口に運んでいる。
「私は軍人だ。軍人が戦地に赴けば死を前提にしなければならんことは家族なら弁えていて当然の覚悟だ。残念ながら典子にはそれがなかった。ベトナムに兵士と武器弾薬を運び、ベトナムから遺骸と負傷者を連れ帰る過酷な任務を遂行している私に自分の感情で余計な負担をかけた。これでは軍人の妻としての資質に欠けると考えるしかないだろ。仮にそれを教訓にして軍人の妻としての在り方を学んだとしても私は信頼して家庭を任せることはできない。戦争と言う極限の緊張を強いられる生活の中で典子が再び自己抑制ができなくなれば任務を妨げられることになる。それは空軍士官として許されない」佳織は父の言葉を自分に当てはめて考えてみた。夫・モリヤ2佐が北キボールPKOに赴いた時はアメリカに留学中で、現地のテレビや新聞では取り上げられておらず、自分も経験したカンボジアPKOと同じような職務と考えていた。だから特別に覚悟することもなく志織と無事を祈っていただけだった。モリヤが現地人の暴徒を殺害したことはワシントンの防衛駐在官から知らされたが、アメリカ的な軍事常識の中では任務上の戦闘行為が犯罪に問われるとは想像もしていなかった。それは母のように夫の職務を阻害しなかったものの同じ職業にある妻として意識が足りなかったのは間違いない。
「お前も知っている通り、ノザキの父は私を身ごもっていた母を残して第442戦闘団に志願してヨーロッパ戦線のテキサス大隊救出作戦で戦傷死した。大腿部に貫通銃創を受けても激戦の中、応急措置だけで放置されてそのまま死んだんだ。それでも母は父の顔を見知らぬまま生まれた私を育て上げ、軍人になることにも反対せず、『父の名誉を汚さぬように』と叱咤激励してくれた。典子はその母の教えを拒否して日本人女性の名誉を汚したんだ。スザンナは母の言葉を遺訓のように学んできたからマサトの死も直視している。その精神はスザンナが志織に受け継がせているから典子やお前のような情ない戦後の日本人女性にはならないはずだ。多分、それがモリヤ2佐が志織を私たちに預けることを決めた理由だったんじゃないか」祖父の言葉に志織はうなずいてから1杯目の泡盛を飲み干した。それにしても女子大生が一升瓶を抱えてグラスに酒を注いでいる姿は日本では見られない。志織も父や兄の淳之介と同じようにアルコホール分30度の泡盛をストレートで飲むらしい。
「幸いにしてお前の夫は私よりも寛大な人物だから、あえて離別を言い出すことはないだろう。お前が夫を譲ってしまった女性も分を弁えているようだから押しのけてまで妻の座を欲することはないはずだ。ならば今しているように単身赴任を続けて志織の両親としての関係を維持することだ。若しモリヤ2佐が帰ってくれば夫婦に戻ることができるように心の準備はしておけ」「ダディは寛大じゃあなくて鈍感なのよ。でもその鈍感が指揮官としては寛大になって部下を引きつけるのね。マミィみたいにピリピリしていては部下は自由に能力を発揮できないわ」志織が予備士官学生としての人物評で話に区切りをつけるとノザキ中佐は佳織のグラスを手元に移し、自分のグラスと一緒にボーボンを注いで手渡した。気がつくとスザンナと志織も少し潤んだ目でこちらを見ている。そこで佳織はグラスを顔の前に掲げて日本語で「乾杯」と発声し、3人も動作と発声を合わせた。佳織の喉から胃にかけて父の心を溶かしたボーボンが流れ落ちて染みわたった。
「グラダデ(グランド・ダディ=祖父)は東京裁判をどう思ってるの」重い話題の1幕目が終わると志織が2幕目を難しくした。この展開はモリヤ家のパジャマ・ミーティングに近い。
「東京裁判と言えば終戦後に日本の戦争責任を裁いた極東国際軍事裁判所のことだな」「ダディがコートジボワールの告訴状を書くのは似たような気分だって言っていたんだ」志織の説明の間にノザキ中佐は回答を準備した。
「合衆国軍人としては戦前の日本の罪を国際的な正義に基づいて処断したとしか言えないな」「ハワイの日系人にとっては日本海軍が真珠湾を空襲したことでアメリカ人の憎悪が大炎上したのだから祖国に裏切られたって言う思いが強いのよ」ノザキ中佐の立場を感じ取ったスザンナが補足し、志織の中では先ほどの曾祖父が身重の妻を残して第442戦闘団を志願した話につながった。ただし、電話では父の見解も聞いている。
「その一方で中国の梅如璈やソ連のイワン・M・ザリヤノフ少将が公正中立であるべき判事の職分を逸脱して日本を断罪する言動で裁判自体を変質させたのは間違いない。モリヤ2佐はそのことを言っているんだろう」「ダディは日本人が政府と軍の敗戦責任を問う裁判であるべきだって言ってるんだ」志織の説明にノザキ中佐は深くうなずいてグラスを口にした。
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  1. 2020/05/03(日) 12:43:27|
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