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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月6日・評価二分の女優・マレーネ・ディートリヒの命日

1992年の5月6日は反ナチスの宣伝に積極的に協力したため連合国とドイツでも左派の国民からは英雄視されていても、第2次世界大戦後半になって守勢に陥って祖国防衛のための戦闘を遂行していた将兵を懐柔したことで影では売国奴と批判されている女優・マレーネ・ディートリッヒさんの命日です。
マレーネさんは20世紀が始まった1901年にベルリンでプロイセン近衛警察士官の娘として生まれました。ところが幼い頃に父親が病死し、母親が再婚した継父も第1次世界大戦で戦死したため、酒場などで唄って生活費を稼ぐようになったそうです。その一方でフランス語を独学で習得しながら18歳でヴァイオリニストを目指してヴァイマル(日本ではワイマールと呼ばれることが多い)の国立音楽学校に入学しますが、手首を痛めたため断念しました。夢破れてベルリンに帰ると心機一転、1921年に当時のドイツでは絶大な支持を集めていたユダヤ系オーストリア人演出家が主催する演劇学校に入学し、翌年に映画デビューすると1924年に助監督と結婚しますが、1年経たずに娘を生んだ頃から不和・別居状態に陥りました(夫がカソリック教徒だったため離婚はできなかった)。
転機が訪れたのは1930年でベルリンの舞台に立っているところを帰国していたユダヤ系映画監督に認められてトーキー映画の「嘆きの天使」の主役に抜擢されたことです。「嘆きの天使」は超堅物の大学教授が学生が落としたキャバレーの勧誘の絵葉書を拾ったことで現場確認と指導のために初めて立ち入り、絵葉書に描かれていた踊り子と出会うことから始まる物語で、マレーネさんの個性的で退廃的な容貌とハリウッドでは「100万ドルの脚線美」と呼ばれることになる抜群のスタイル、気だるい歌声も加わって絶大な出世作になりました。この年、パラマウント映画に招聘されてハリウッドに進出すると同じ監督の「モロッコ」でトップ俳優と共演しました。さらに同じ監督の「上海鉄道」でスター女優としての地位を奪取しました。
1930年代に入るとファンだったアドルフ・ヒトラー総統の帰国要請を拒否してアメリカの市民権を申請し、ユダヤ人弾圧を批判する立場から反ナチスを公言するようになり、第2次世界大戦中にはアメリカ軍の前線兵士慰問団体に参加して北アフリカやヨーロッパ戦線での巡業を続けました。ただし、マレーネさんのドイツ訛りの英語は兵士には不評で、そのためドイツ兵向けの懐柔ラジオ放送に出演するようになり、第1次世界大戦時にドイツ軍向けに放送されて敵味方を問わぬ兵士に愛聴された「リリー・マルレーン」を唄い始めたのです。ちなみに1948年には連合軍兵士の慰問のため来日しています。
戦後、この活動を軍功とするアメリカから最高位の大統領自由勲章、フランスはレジオンドヌール勲章を贈られましたが、母国ドイツでは1960年になって実現したコンサートでも「裏切り者」と言う罵声が飛ぶなど戦勝国の賞賛とは別の国民感情があるようです。
晩年は肝臓と腎臓の障害で12年間寝たきりだったこともあり表舞台に出ることはありませんでしたが、やはり表立っては「反ナチス」の闘士を批判できないのが敗戦国・ドイツの立場ようで、没後は希望通りにベルリン市内の母親の墓の隣りに埋葬されています。
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  1. 2020/05/06(水) 13:14:42|
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