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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1913

土曜日の翌朝もオランダ語教室が休みの梢は早速大豆と格闘している。先ずは水温+時間=30で水に漬けておいた大豆を使って本土の豆腐からだ。昨晩の島豆腐は水気を絞るのが上手くいかず少し茶碗蒸し風だったが、やはり美味しかった。梢は私と別れてから豆腐は店で買うようになり、手作りしたのは約30年ぶりだったそうで、小中高校生の頃に母から習った遠い記憶を辿りながらの再挑戦だったので仕上げは今一つだったようだ。
「先ずは納豆の準備からね。奥さんのメモによると・・・洗った大豆を水に1日漬けておく。だから昨日漬けた片方は今から豆腐にして、片方はそのまま午後まで漬けておけば良いのね」仕事用の机で英語新聞のスクラップを作っていても台所で梢が手順を確認している独り言が気になって仕方ない。茶山本3佐の奥さんは納豆の作り方の説明だけでなく「沢庵を漬けるように糠(ぬか)を送る」と言ってきたそうだが、沖縄では漬け物を自家製する習慣がなく梢は完全な初心者だ。むしろ私の方が小坊主時代に祖父母の手伝いをしたことがあるが、こちらは約40年前なので記憶に残っていない。考えてみれば梢との買い物で行くスーパー・マーケットや八百屋で売っている大根は日本で言えば蕪のような球形が多く、赤色や黄色、紫色や黒色まであり、同じ野菜とは思えないほど色や形が違う。これは茄子も同様だ。
「それでいよいよ豆腐ね。最初にミキサーにかける。この時、漬け汁が400ccに足りなければ水を加える」梢が習った本土の料理店の女将の指導は極めて具体的で、料理教室の教官が務まりそうだ。私が感心している間に梢はミキサーをセットして轟音を立てて大豆を粉砕した。淳之介や志織が子供の頃にはミキサーにバナナと牛乳に氷を入れてバナナセーキを作ったものだが、これはあまり美味しそうな色はしていない。
「これを鍋に移して弱火で10分くらい。拭きこぼれと焦げに注意」独り言と同時進行で鍋や器が音を立てるので見学していて楽しくなる。私は休日でもあり、スクラップ作りは中断して椅子の向きを変えると梢の作業の観戦に専念することにした。
「これを布で絞るのかァ、まだ熱いなァ。昨日は水だったけど・・・」島豆腐では加熱する前に生絞りするが、これは絞るのに労力を必要とする一方で、癖が抑えられたまろやかな風味になると言う。それにしても昨日の島豆腐とはかなり手順が違うようだ。おそらく島豆腐は多くの沖縄の風物と同じく中国でも揚子江の南の地域から東南アジアなどに広まった南方式で、本土の豆腐は黄河流域から満州、朝鮮半島経由で伝わった北方式なのかも知れない。ただし、あくまでも素人の推理であって根拠はない。
「熱い、熱い、熱い、熱い、熱愛してる」梢は水道の水で手を冷やすと妙な気合を入れながら絞り始めた。こうなると放置はできない。私は立ち上がると梢の後ろを通って流しに行き、ハンド・ソープで手を洗ってから交代した。
「熱い、熱い、熱い、熱い、心頭滅却すれば火もまた自ずから涼し」気合を入れて絞っても確かに熱い。それでも最後の決め台詞は禅僧だった頃の名残で碧厳録の42則が出た。するとこの台詞に聞き覚えがある梢は笑いながら顔を覗き込んだ。
「残ったのが雪花菜(おから)でしょう。卯の花にするには材料が足りないわよね」布に残った雪花菜を見ながら梢が呟いた。絞った豆乳に微量(豆乳150ccに苦汁5から7.5cc)の苦汁を加えて器に入れれば蒸し器で15分蒸せば本土の豆腐が出来上がる。これが昼食のオカズだ。一方、雪花菜を卯の花にするには刻み油揚げや椎茸、人参で色どりを添えるのが定番であり、味付けには出汁や醤油、味醂か料理酒が必要になる。とは言え食材になる雪花菜を捨てるのは坊主としての精進料理の鉄則だけでなく軍人勅諭の「1つ、軍人は質素を旨とすべし」にも反するのだ。梢はそんな私の美学も知っているため思案しているらしい。
「雪花菜は冷蔵しておけばすぐには傷まないだろう。後で使える食材を探せばいいよ」「うん、納豆を作ってから買い物に出ましょうよ。最近、散歩に行ってないから運動不足よ」私の提案に梢も同意した。緯度が高いオランダの1月の日没時間は午後5時前になるため、治安が良いとは言え帰宅してから出かけるのはあまり好ましくない。路面が凍結すれば徒歩で通勤しているが、それでも片道15分なので運動量としては不十分だ。
この日の午後は水に1日漬けておいた大豆を圧力鍋で蒸してから茶山元3佐手製の藁の袋に入れて買ってきたばかりのヨーグルト・メーカーで40度保温にして作業は完了した。しかし、発酵まで24時間と言うことなので出来上がるのは明日の午後になる。朝食には間に合わないがインスリンを摂取せずに食事制限だけで血糖値を維持していた頃には刻みキャベツに卵を落とした納豆をからめたオカズで昼食、夕食をすませていたので、それも悪くはないだろう。今の梢は昔と全く変わっていない。これが「素」と言えばそれまでだが完璧に私の理想の女性だ。
な・純名里沙イメージ画像
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  1. 2020/05/12(火) 12:09:57|
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