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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1917

「ふーん、お義父さんとの生活を満喫しているんだ」私との国内小旅行を終えた翌朝、梢はあかりに電話をかけた。日本とオランダの時差は8時間なので朝9時に電話をすれば向こうは夕方の5時になる。双方に負担がかからなくて適当な時差だ。あかりは昨日の出来事を説明する母の弾んだ声を聞いて嬉しそうに返事をした。
「貴方に風車の音を聞かせてあげたいな。風を切るブーンって言う音は迫力があって、水を汲み上げる機械の歯車が回るキリキリって言う音やザブザブって水が流れ落ちる音は他では聞けないでしょう」「ふーん、面白そう」今回の旅行は博物館巡りだったのだが、視覚障害者のあかりには説明のしようがない。それで梢が用意してきたのが音の話題だった。
「オランダの風車は大きなネジみたいな溝を切った金具で水を汲み上げて排水するだけじゃあなくて小麦を挽いたり、牛乳をかき混ぜてチーズにしたり大活躍してるのよ」「だから色々な音がするんだね。風車の仕事の音だ」あかりは幼い頃から梢だけでなく祖父母にも古今東西、多岐にわたる知識を与えられてきたので、理解力は健常者に優っても劣ることはない。
「お義父さんはあかりにクリスマスの讃美歌と鐘の音を聴かせたいって言ってるよ。冷たい空気の中に響いてくる讃美歌と聖堂の鐘の音をあかりがどう受け止めるのかを知りたいってさ」「その前に私は淳之介さんと本土の除夜の鐘を聴きに行きたいけど、年末は仕事が忙しいから無理だって諦めてるのさァ」これは梢もモリヤの希望に反論した現実だった。年末は買い出しに石垣島に渡る島民や帰省する子供たちも多く淳之介は大晦日まで大忙しだ。年明けも2日から運航を再開するので休暇は帰省が一段落してからの翌週になる。勿論、そんなことはモリヤも判っているのだが、あくまでも「あかりの世界を広げたい」と言う親心だった。
「今年は淳之介さんの休暇が成人の日の後になったから恵祥とオジイ、オバアと一緒に今帰仁まで桜を感じに行ったんだよ」淳之介の離島航路の正月休暇は成人の日が難問だ。離島に新成人の女子がいると石垣市内のパーマ屋でセットと着付けをしてもらうため早朝の特別便を出さなければならない。離島の住民への奉仕の精神を社長から学んでいる淳之介は志願してこの任務を遂行しているのだ。そのため今年は沖縄の緋寒桜の開花に間に合ったらしい。
「今帰仁の桜はお義父さんとも行ったわよ。どうだった」「オジイとオバアは綺麗だって言ってたけど淳之介さんと私は船岡で本土の桜を感じてきたから何だか物足りなくて申し訳なくなっちゃったの」あかりの声はそのまま「ごめんなさい」と続けそうな雰囲気だ。それは本土でも桜の名所として有名な船岡・白石川の千本桜と比較して優劣を付けているのではなく、自分と淳之介が体験している感動を祖父母と共有していないことが残念なのだ。
「本土の桜かァ・・・お義父さんに連れて行ってもらう約束が実現してないね。コスモスにはこっちで会ったけど」「コスモスはお義父さんと行ったさだまさしのコンサートで聴いたんだよね」「うん、アパートでもテープで聴いていたけど本物に感激して泣いちゃったのよ」あの頃の沖縄ではコスモスが咲いておらず梢は見たことがなかったので秋に本土へ連れて行って見せる約束をしていた。しかし、モリヤの両親と伯父夫婦が執拗に交際に反対したため悩み苦しむ姿を見かねて梢から別れを切り出したのだ。
「そう言えば貴女たちがお世話になった船岡の茶山さんに私たちもお世話になってるよ」折角の国際電話が沈んでしまったので梢が話題を換えた。
「茶山さんは元気なの」淳之介は年賀状を交換しているので先日の帰宅で読んでくれたが、茶山元3佐の年賀状は凝った絵が描いてあるらしくあかりには理解できなかった。
「うん、ご夫婦ともお元気みたいだね。日本の食べ物をこちらで作れるように材料を送ってくれたんだよ」「材料を・・・どんな」あかりも梢と祖母から料理の手ほどきは受けているが、材料まで手作りさせるには無理がある。それでも知識として教えることにした。
「苦汁(にがり)って言う豆乳に混ぜて豆腐にする液を送ってくれたのさァ。オバアは海水にしているけど本土では苦汁を使うんだって」「苦汁ってやっぱり苦いの」「確かに苦いね」梢の返事を聞いてあかりが電話口で顔をしかめたのが判った。
「それから納豆と作る藁(わら)の袋」「藁って稲でしょう。それを使って納豆を作るの」「私もビックリしちゃったよ。藁に大豆を発酵させる納豆菌が棲んでるんだって。ウチでは納豆に茹でた大豆を足して毎日、食べてるよ」酵母の納豆菌も生き物なので増殖を途絶えさせる訳にはいかない。おかげで最近は焼いたトーストに納豆を載せるのが朝食の定番になっている。
「お義父さん、豆腐と大豆が大好物なんだね」「半分は坊さんとしての精進料理だけどね」あかりが何かを訊こうとしたが、恵祥が昼寝から目を覚まして泣いたため今回はここまでになった。恵祥は赤ん坊ではなく幼児の泣き声になっている。後で祖父に聞かせる嬉しい話題ができた。
え・安里あかりイメージ画像
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  1. 2020/05/16(土) 12:26:13|
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