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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1922

「近藤1佐から大使館主催の桜祭りに誘われたんだよ」「やったァ、花見がお祭りになっちゃたんだね」帰宅して梢に大使館主催の桜祭りの話をすると梢は大喜びした。ところが私は準・大使館職員として来賓を接待しなければならず、妻=梢はやはり和服だと言うのだ。
「お前、和服を持って来てるのか」「うん、海外では着る機会があるかも知れないからって母が持たしてくれたのさァ」考えてみれば梢が沖縄から送ってきた荷物の中には薄く細長い桐の箱があった。衣類の片づけは梢の担当だったのでクローゼットがある寝室まで運んだだけだったが、今思えば和服以外にあのような箱は使わない。
「着付けはできるのか」「成人式で母から習って、あかりの時に2回目、結納で3回目だったのさァ」それでは私は見たことがないはずだ。私は結納の時のあかりの和服姿に感激して、志織に振袖を買ってしまったが仕掛け人は梢だったらしい。
「本当は琉装を披露したかったけど持ってないから仕方ないね」「ワシも見たかったのになァ。残念」和服も楽しみだが、美しく優雅な沖縄の伝統装束を着たところはもっと見てみたい。あの頃も首里城跡(当時)の守礼之門では観光客に琉装をさせて記念写真を撮る業者がいたが、ほのかにシマンチュウ顔の梢には声がかからなかった。
「それじゃあワシも休暇を申請しておくよ」「はい、お願いします」ここが自宅で仕事をしていても通すべき筋なのだ。これでコスモスに続き「本土の桜を見せる」と言う約束も染井吉野と言う品種だけは実現することになった。ただし、テレビの映像で見たボス公園の桜は近藤1佐も言っていたように植えて10数年の若木なので枝は伸びておらす、花の量も乏しかった。
私は大きな計算違いを犯してしまった。桜祭りは当然、酒席になるので大使館の職員と家族は観光バスを手配して団体で移動するのだが、それを申し込むのを忘れていた。そのため自宅から駅まではタクシー、列車で乗り換えがあって1時間強のアムステルダムに向かい、そこからもタクシーになった。しかもボス公園はアムステルダム市と隣接するアムステルフェーン市の両域にまたがるため駅から5キロ以上ある。
「奥さん、それは日本のキモノ(着物)ですね。美しい」駅でタクシーに乗り込むと運転手は私が着ている自衛隊の制服よりも梢に関心を示して声を掛けてきた。
「はい、よくご存知で」「日本の観光ガイドで見ました。でも本物を見たのは初めてです」運転手は私が手渡した会場の地図を確認してタクシーを発車させたが、ルーム・ミラーで梢ばかりを見ている。これでは危険運転を指摘しなくてはならなくなる。
「会場までタクシーで直接行けるのか」「公園の入り口で管理人に申し込めば可能ですが、奥さまの美しい着物を見れば日本大使館の行事に出席することは理解できるでしょう。大丈夫だと思います」今日は私の制服は完全に無視されている。社交性が欠落している私としても接待と言う最も苦手な役目の負担が軽くなるならそれも有難いことだ。
「モリヤ2佐、申し訳ない。チャーター・バスを案内するのを忘れていたよ」「安里さんも和服では大変だったでしょう。ウチの車に同乗させて差し上げれば良かったのに気が効かなくて」会場に着くと近藤1佐夫妻が歩み寄って代わる代わるに謝罪した。やはり防衛駐在官は専用車両だったようだ。確かに和服の草履では歩幅が小さくなるため列車での移動には不向きだ。私も僧侶の法衣で列車に乗ったことがあるが、ホームへの階段を上り下りするのには苦労した。今はエスカレーターなので助かったが歩幅と歩調を合わせて歩くのは大変だった。
「間もなく開会式が始まるから、あちらの出席者の中に紛れ込んで下さい」謝罪が終わったところで近藤1佐が並んでいる行事用テントを手で示した。手前の椅子があるテントには外国人の男女、その隣りは日本人と思われるアジア人、その奥に見覚えがある大使館職員と和服姿の女性たちが立っている。この中に紛れ込めば良いらしい。1佐の防衛駐在官は在外大使館では1等書記官待遇なので大使夫妻と公使夫妻、参事官夫妻の傍らの席に戻っていった。
「これはモリヤ検察官」梢と2人で書記官、理事官、外交官夫婦たちのテントに歩いて行くと自衛隊記念日の祝賀会で顔を見知った職員たちが小声で話し掛けてきた。今日は野外なので職員たちは背広で妻の和服の引き立て役になっている。歩いてくるまでに見たところでは周囲には在オランダの日本料理店のテントが軒を連ね、花見団子やドラ焼きなど祭りの定番の露店も並んで美味しそうな匂いが漂っている。それでも手つきを見る限り、露店の方は素人のようだ。
「大変お待たせしました。それでは2013年桜祭りを開会したいと思います。開会に当たりまして在オランダ特命全権大使、永嶺安正よりご挨拶を申し上げます。レディース アンド ジェントルマン・・・」開会式が始まったがこれでは楽しいお祭りではなく堅苦しい式典ではないか。やはり梢と2人でシートと弁当を持って来た方が正解だったかも知れない。
に・純名里沙イメージ画像
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  1. 2020/05/21(木) 13:44:06|
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