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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1927

照子と娘に付き添って病室に行くと眠る前に食べるように昼食が用意してあった。娘は疲れているのか小さな寝息を立てて眠っている。森田予備士長は照子が食べている間に携帯電話の使用が許されている廊下の自動販売機コーナーへ行き、先ずは広橋家に連絡した。
「母子ともに健康です。3010グラムの標準の女の子でした」「女の子だったの。とりあえずおめでとうございます。照子にもそう伝えて下さい」電話に出た義母は落胆した様子だった。30歳を過ぎている照子には多くの子供は期待できず、やはり最初は跡取りの男の子を期待していたようだ。義父母は結婚前に両親と会った時には「子供のうち1人は森田家の跡取りにする」と約束していた。果たして義父や親族はこのニュースをどう受け止めるのだろうか。
「無事に生まれたよ。3010グラムの標準の女の子だ」次は芦屋の官舎で待つ両親、今日は平日なので母に連絡した。母は「本当にチンチンはないのね」と余計な確認をした後、電話口で歓声代わりの溜息をついた。母は先日の電話で「男の子だと今度の子供の日が初節句になるから準備が間に合わない」と焦っていたのでこれで安心したのかも知れない。
「親父にも初孫が生まれたぞって伝えてくれ。お祖母ちゃん」「私は大きいママだよ。お祖母ちゃんとは呼ばないで」母は嬉しそうに文句を言った。おそらく連休には初孫に会いに北海道までやってくるはずだ。まだ桜が残っていれば夜桜の煮込みジンギスカンで祝いたいものだ。何はともあれそろそろ照子の食事が終わる頃なので森田予備士長は携帯電話をズボンのポケットにしまいながら足早に病室に戻った。
「目が覚めたらお腹が空いたみたい」ドアを開けると照子は娘に母乳を与えていた。森田予備士長が愛した白く豊かな乳房は血管が浮き上がって母乳タンクになっている。部屋には子供を産んだ乳牛の初乳のような甘く生臭い匂いが漂っていた。
「よく飲むなァ。やっぱり牧場の孫だけのことはある」「私も牧場に戻ったから牧場の娘でしょ」いきなり一本取られた。森田予備士長は腰をかがめて顔を近づけると窓越しの日の光が娘の顔を浮かび上がらせている。生まれた直後は顔立ちがハッキリしなかったが、今は少し締まったようで新生児の割に鼻が高く、閉じた目の上の眉毛もキリリとした中々の美人だ。森田父子は愛媛県が生んだ英雄・秋山真之中将似のソース顔の美男子で、大きな目がセールス・ポイントだ。照子も目は大きい方なのでどちらに似ても目がパッチリした美人になる。
「眩しくはないのかなァ・・・」「日向(ひなた)ぼっこしているみたいで気持ち良いんでしょう」森田予備士長が娘の額を照らしている日の光を気にして独り言を呟くと照子は身体の向きを変えながら自分の所見を返した。10歳年上でもどこか便りないところがあった照子もやはり一皮剥けて母親になったようだ。照子の言葉にもう一度、娘の顔を覗き込んだ時、胸に名前が浮かんだ。
「日向(ひなた)・・・日和(ひより)もあるぞ。日がつく名前が良いな」こんな時、親は小学校から今日まで漢字の勉強に励んでこなかったことを後悔する。森田予備士長は「今日」にも「日」が付くことには気がついていない。その一方で照子の妊娠を知らせた電話で父から「俺は散々女遊びをしてきたから娘ができたら同じことされるんじゃあないかと心配になると思っていた。だからお前が男で本当に良かった」と言われたことを思い出した。そうならないためにも自分が抱いた女子の名前は外すべきだ。多分、全く効果がない馬鹿な対策を考えた森田予備士長は妻と娘の前で過去の悪さを真剣に思い返し始めた。
「裕子、明子、正代、清子、五月、三恵子、早苗、佳代子、孝江、美和子、由紀子・・・」名前と一緒に顔と裸にした身体まで頭に浮かんでくる。旭川のスキー場でナンパして遊んた都会の女たちは名前を思い出せないが、互いに乱れ切って快楽に溺れた彼女たちこそ外さなければならない。それにしても「ロク」でもないことをしてきたものだ。ならば「ナナ」でも良い。
「何を考えてるの」母子の前で黙り込んでいる森田予備士長に照子が怪訝そうな顔で声をかけてきた。気がつくと照子は授乳を終えて娘の背中をさすってゲップをさせている。
「名前を考えていたんだ。日がつく名前が良いなって」「日がつく名前かァ・・・」照子が牧場に帰ってからは男女の名前を出し合ってきたが、書店で働いていた読書家の照子には全く敵わなかった。この提案を受けて思いがけない意見を出してきそうだ。
「お日さまの日に歩くって書いて『かほ』ってどう」「日曜日の日(にち)を『か』って読めるのか」「二日、三日の『か』だよ」「俺が読めないような名前じゃあ友達も間違うから却下」この森田予備士長の意見は適切だ。最近は暴走族の当て字のような奇異な漢字を使った名前が増えているが、あれは親の趣味と勉強不足を世間に公表しているだけで子供の幸せを願っての命名とは思えない。幸いにして常識的な話し合いの結果、「日和(ひより)」に決まった。
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  1. 2020/05/26(火) 12:28:32|
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