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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月31日・ナチスの戦犯・アイヒマンがイスラエルで処刑された。

終戦から17年が経過した1962年の明日5月31日にイスラエルでアドルフ・オットー・アイヒマン親衛隊中佐が処刑されました。
ニュルンベルク裁判はナチスの「人道に関する罪」については時効を認めていないので(ドイツは連合国との講和条約を結ばないまま東西に分断されていた)、現在もドイツでは元ナチスの高齢者が当時としては義務であった「協力の罪」で逮捕されて裁判を受け、大半は有罪判決を受けて刑務所内で死亡していますが、イスラエルに対して捜査権、逮捕権や司法権を与えておらず、ましてや死刑によって殺害する法的根拠はありません。
アイヒマン中佐は1906年にドイツ西部の刃物で有名なゾーリンゲンで電機会社の事務員の父親とオーストリア系の母親の5人の子供の最初の長男として生まれました。1913年に父親がオーストリア・ハンガリーの同業社の役員になったため一家で移住し、そこで成長しました。上昇志向が強い父親はオーストリアで事業を起こしますが立て続けに失敗し、アイヒマン中佐も入学した学校を立て続けに中退し、就職先も解雇されて行き詰っている中でオーストリア・ナチス党に入党し、親衛隊にも入隊したのです。その後は組織の歯車として機能しながら適材適所に配置され、それがユダヤ人問題の担当者でした。
アイヒマン中佐自身はオーストリア時代に多くのユダヤ人の友人と親交を持ち、ユダヤ人が経済の実権を握っていたオーストリア国内では常識化していた反ユダヤ主義に染まっていませんでしたが、親衛隊内でのそれぞれの立場の上司から巧妙に思想を誘導され、当初はユダヤ人の間で流行していたシオニズムに同調して「ユダヤ人を中東に強制移住させてヨーロッパから排除する」と言う意見でしたが、次第に強制収容所への収監=隔離、最終的にはガス室での大量殺害=民族抹殺を担当業務として誠実に実施し、むしろ有能な実務者として要職を歴任して親衛隊内で絶大な信頼を得ることになったのです。
1945年5月8日にナチス・ドイツが敗北するとアイヒマン中佐はアメリカ軍の捕虜になりましたが偽名を使って身分を偽った上、収容所から脱走して西ドイツ内で潜伏した後、難民を装ってイタリアへ移動し、ナチス戦犯の逃亡を支援していたカソリックの修道士会の手引きでアルゼンチンへ渡航しました。アルゼンチンでは偽名を使って農場経営などで生計を立てドイツから家族を呼び寄せて10年間の平穏な生活を送ることになりました。ところが逃亡したナチス戦犯を追及していた西ドイツの検察官が偽名による渡航を察知したものの海外での捜索が許可されなかったためイスラエルに通報したことで捜査が始まったのです。イスラエルはモサド=諜報特務庁の工作員を派遣しましたが尻尾を掴むことができずにいたところ息子が女友達に父親の素性を自慢したことから存在を確認し、息子を2年にわたり監視・尾行した末にアイヒマン中佐の拘束に成功しました。
イスラエルの法廷で戦争犯罪者を裁くことに国際世論は必ずしも賛同しませんでしたが、ナチスによる迫害を経験したユダヤ人たちが証言した過酷な待遇と残酷な大量殺人をユダヤ系大手マスコミに報道させたことでユダヤ人国家のイスラエルに処罰する権利があるように誘導されてしまい1961年12月15日の判決に基づいてこの日に執行されました。
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  1. 2020/05/30(土) 12:14:31|
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