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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月2日・プロの悪役レスラー・ブラッシーの命日

2003年の6月2日は始まった頃の日本のレスリング界に本場の悪役レスラーとして殴り込み、定番となった反則技・噛みつきによる流血戦で「銀髪鬼」「噛みつき魔」などの悪名を欲しいままにしたフレッド・ブラッシー(本名・フレデリック・ケネス・ブラスマン)さんの命日です。85歳でした。
ブラッシーさんは1918年にアメリカのミズーリ州セントルイスで生まれ、高校時代はボクシングやベースボールをやっていましたが精肉工場に就職するとレスリングを始め、仕事の合間に筋力トレーニングに励みながら1935年にデビューを果たしました。
アメリカが第2次世界大戦に参戦した1941年12月に海軍に入営し、戦後は水兵を売りにしたセイラー・フレッド・ブラッシーとして再デビューしています。1950年にはNWAヘビー級チャンピオンのルー・テーズさんに挑戦しましたが力及ばず、1952年からはカリフォルニア州ロサンゼルスに進出し、同じミズーリ州出身のビリー・マクダニエルさんとリング上の兄弟タッグを組んだためフレッド・マクダニエルに改名しています。ところがケンタッキー州ルイビルでは逆にビリーさんの方がブラッシーを名乗り、ブラッシー・ブラザーズとしてタッグを組み、南部のジョージア州でNWAのヘビー級タッグ・チャンピオンを獲得し、さらに南部NWAの個人チャンピオンにもなりました。
ところが北部のミズーリ州出身であることが知られると仇敵の南部では激しい罵声を浴びせられることが多くなり、ベビー・フェイス(正義役)では人気が維持できなくなったためタッグを解消したのを機に赤毛だった髪を脱色して金・銀髪にして、罵声にはさらに過激な暴言で応じるヒール(悪役)に転向したのです。そうして始めたのが噛みつきでバンパイア(吸血鬼)・フレディ・ブラッシーとして憎悪と言う人気を獲得しました。
1960年代に入るとロサンゼルスに復帰してNWAから分離したWWAの初代チャンピオンの座に就いたものの1962年3月に訪米した力道山に敗れたことで「太平洋を渡ったベルトを取り返す」と言う名目で日本プロレスに参戦し、この時は失敗しましたが同年7月にアメリカで奪還に成功して以来、全米各地で活躍し続けたのです。
一方、日本のプロレスは敗戦と占領下の劣等感から外国人レスラーに悪役を演じさせ、前半は脇役が反則技で痛めつけられて半死半生になりながら決着=敗北だけは免れ、後半になると力道山などの英雄役が仇を討つようにも反撃を始め勝利する勧善懲悪劇になっていて、中でもブラッシーさんの噛みつきは凄まじい流血による凄惨な映像を見た76歳の京都在住の女性と63歳の愛知在住の男性が持病の悪化で死亡するほどの迫力だったようです。このため悪役を超えた凶悪役になりました。
しかし、実際のブラッシーさんは大の親日家の紳士で、来日時や試合前のインタビューでは口汚い暴言を連発しても、引退してマネージャーになってからはスタン・ハンセンさんやハルク・ホーガンさんなどの若手レスラー(特にヒール)の育成と試合でのサポートに尽力して藤波辰巳さんなど多くの日本人レスラーたちもアメリカでの武者修行では「大変世話になった」「おかげで今日の自分がある」と心からの感謝の辞を語っています。
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  1. 2020/06/02(火) 12:52:57|
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