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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1936

とうとう第2次コートジボワール内戦における文民殺傷や捕虜虐待などの戦争犯罪でバグボ前大統領を告訴し、予審法廷での公判が始まった。私も梢が「ダースベーダーのようだ」と言った法廷服に首から黒の威儀細を提げて出廷しているが、モレソウダ首席検察官の隣りに座っていても気分は沈む一方で全く盛り上がらない。それは現代の法廷でありながら物的証拠はないに等しく、旧宗主国として軍事介入したフランスと被害者と称する内戦の当事者の証言だけを根拠に告訴したのだから遠からず裁判を維持できなくなるのは目に見えているのだ。
そんなある日、戸崎久仁子判事が執務室を訪れた。国際法の専門家の戸崎判事は第1次法廷所属だから現在の裁判に直接は関係していない。ならば同じ組織で働く同胞として接触しても問題はないはずだ。そこでソファーを勧め、ポットで日本茶を淹れた。残念ながらお茶菓子はない。
「今回の告訴状はモリヤ検察官が作成したんですってね」「はい、かなり苦労しましたが体裁だけは整えました」私の率直な返事に眼鏡の奥の日頃は外交官的に隙を見せない目が同情したように和らいだ。戸崎判事は私やモレソウダ首席検察官よりも5歳年上のはずだが、優しい姉と言うよりも慈しむ母のような眼差しだ。
「これが日本に限らず先進国の刑事裁判なら全ての犠牲者の外傷を詳細に鑑定して、凶器を特定した上で加害者を捜査するんですが、戦場では刑事訴訟法的な立件は不可能です。実際、私が刑事被告人になった裁判でも証拠採用された加害用具は私自身が使用して提出したナイフだけでした。検察側は通常の刑事裁判のように犠牲者に命中した弾丸や使用した火器の提出を防衛省に要求しても東キボールから撤収した後にM6短機関銃の鑑識に応じただけでした。あの時も射ち合いでしたから弾丸を回収して線条痕(=ライフル・マーク)を監視気に掛けようとすること自体が無理な要求だったんですよ」この説明で戸崎判事は私が東キボールで現地の暴徒3名を殺害して殺人犯として告発された元刑事被告人だったことを思い出したようで、同情に別の色を加えた目でソファーの向かいの席に座っている私を見詰めた。それにしても3000ドル=30万円もしたラブレス社製のナイフは無罪になっても戻ってきていない。
「要するに国際刑事裁判所が通常の刑事訴訟法と同様の手法で公判を進めていくと検察側は裁判を維持できない。判決は常に証拠不十分で無罪と言う結果になると言うのね」ここで日本茶を正しい作法で口に運んだ戸崎判事は湯呑を置きながら問題の本質を口にした。
「その通りだと思います。多くの先進国の裁判ではあえて重要視しない状況証拠や当事者の証言も必要に応じて証拠採用してもらえるようにならないと今回のように安全保障理事会常任理事国の政治的圧力で告訴させられても明確な罪状が立件できないままニュルンベルク裁判に合わせた人数を処刑した東京裁判のような禍根を残しかねません。ナチは具体的な罪状と被告が果たした役割が明確でしたから裁判が成立しましたが、日本の場合は大陸での武力紛争に交戦国ではないアメリカ、イギリス、オランダ、フランスが資源の禁輸だけでなく武器供与まで公然と行っていたことが開戦の要因であった以上、この国際法違反も同時に告発しない東京裁判は構造自体が歪んでいました」話が長くなったが、これは判事と検察官ではなく同胞の雑談なので母国に関わる歴史上の問題を持ち出すことに違和感はない。戸崎判事も表情は変えないで目だけで同意した。しかし、外交官の腹の内は判らない。
「ところでモリヤ検察官はエリンスト・フリードリッヒ・シューマッハーって言うイギリスの経済学者の著書を読んだことがあるの」唐突に意表を突いた質問をされた。私もまだ邦訳版が出ていなかったマイケル・ウォルツアーの「ジャスト アンド アンジャスト ウォー」の原書を自力で翻訳して読破したことがあるがイギリスの経済学者の本までは手を出さなかった。
「それはイギリス人ですか。名前はドイツ辺りの人みたいですが」「確かにドイツ人よ」私の答えに読んでいないことを察した戸崎判事は少し身を乗り出して説明を始めた。
「シューマッハーは佛教経済学を提唱したの。つまり『欧米のキリスト教圏の企業は経済の実情を自社の価値観に囚われた先入観で受け止めるから本質が見えない。経営判断も教条主義に陥って自縛している。その点、日本などの佛教国は現実的に捉えてそれに応じた商品開発を進め、現地の要求に即した営業を行っている』って言うのよ」「私も同感です。法曹界でもキリスト教徒は先に自分たちの正義があってそれに背く者は罪悪、罪悪は罰せられて滅びるべきだと一方的に割り切っています。その点、私は佛教徒の坊主ですから諸行無常、因果応報、おまけに自業自得、諸法無我の理で世界を見ますから内心ではかなり違和感を覚えています」「だから今回の告訴もバグボ個人の犯罪ではなくコートジボワール国内で発生した非人道的事態に対する為政者としての道義的責任を主に論証しているのね」戸崎判事は納得してくれたが、私としては「英文の専門書を読む」と言う宿題を仰せつかってしまった。「梢、頼むぞ」
尾崎久仁子国際刑事裁判所・尾崎久仁子判事
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  1. 2020/06/05(金) 13:16:47|
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