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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1938

香川地方協力本部長勤務も2年が間近に迫ったモリヤ佳織1佐は多忙を極めていた。隊員の募集は「失われた10年」と呼ばれる長期不況による公務員人気と東北地区太平洋沖地震で自衛隊の災害派遣が大きく取り上げられたことで容易に良質の隊員が集められているが、県内マスコミが着任時の人物紹介で「全国唯一で初の女性本部長」と紹介したことで講演会や行事への来賓としての出席の依頼が殺到している。
「何で私の写真を使ってるんや。これじゃあ主役の機嫌が悪くなるじゃない」休日の午前、マンションで目覚めた佳織はパジャマのまま朝食のトーストをかじりながら朝刊を読み始めた。すると昨日来賓として出席した善通寺駐屯地の第110教育大隊と第15普通科連隊の新隊員課程の合同卒業式の記事が載っていた。何故か式辞を読む佳織の写真が使われている。しかし、これも珍しいことではないので記事だけを読んでマグカップに注いでレンジで温めたブラックの缶コーヒーを飲んだ。最近はドリップでコーヒーを淹れる習慣もなくなっている。
卒業式では第110教育大隊歌の斉唱もあったが、幼い淳之介が家で誇らしげに唄っていた隊歌であることには気がつかなかった。ただ、壇上の来賓席で「明日に仰ぐ讃岐富士、夕べには映ゆる五岳山」と唄っているのを聴いて2006年に第2混成団が第14旅団に改編されたことに伴い第110教育大隊が松山駐屯地に移駐すると歌詞をどうするのかと考えていた。今の佳織は善通寺がモリヤと婚姻届を提出した土地であることを思い出すこともない。
「イージス艦の事故は無罪になったんやね。やっぱりあの人はその他大勢だったってことか・・・」食器の片づけを終えたところで読めずに貯めていた新聞に目を通し始めると、その中にはイージス護衛艦・あまごと漁船の衝突事故で東京高等裁判所の2審が無罪判決を下した記事があった。佳織もこの裁判にモリヤが弁護士として参加していたことは承知しているが、オランダの国際刑事裁判所に移動して半年以上経過しても東京高等裁判所が1審の判決を踏襲したと言うことは特に重要な役割を果たしていた訳ではないことになる。所詮は司法試験合格者を出していない地方大学を中退した素人がマグレで合格した弁護士なのだ。
「あまごの航海長は兵庫県出身なんやね」その記事には被告人になっていた2人の海上自衛官の経歴の概略が付いていたが、下番した当直士官だった航海長の前潟啓一郎3佐は兵庫県出身、防大卒とある。帰国して間もない頃にモリヤと見た伊丹のママさんに送ってもらったDVDの「なかじんのそこまで行って委員会」に前潟3佐が出演していたが灘高校出身と言っていた。
「あの人も優秀な人材の現場復帰に協力したんやから少しは組織の役に立ったと言うことや」日本でも最高レベルの進学校である灘高校から防衛大学校に進学した前潟3佐が優秀な人材なのは間違いない。今では組織の問題児にしか見えなくなっているモリヤがこの無罪判決に多少なりとも協力したのなら妻であることを恥じる気持ちも少しは癒えると言うものだ。むしろ広報活動に役立つかも知れない。佳織は時計を見るとテレビの報道特集番組が始まる前に洗濯を済まそうとソファーから立ち上がって洗面台と浴室がある水回りの区画に歩いて行った。
「今回の大学での講演は地方協力本部長としての広報活動であるとしてもアメリカ軍と自衛隊の活動を具体的に説明するのは保全上の問題があります」翌週になって佳織に伊丹の中部方面隊監察官の1佐から電話が入った。最近、佳織が日本には存在しない軍事学の修士号をアメリカの陸軍CGSに併設されている大学院で取得していることが広まったため大学での講義の要請が届くようになっている。当初ほ保全規則上の許可権者である組織の長として無届けで公演したのだが、それが新聞に掲載されたため善通寺の地方情報保全隊が東京に報告し、香川地方協力本部を指揮監督する中部方面隊に照会が届いたようだ。それでも監察官は先任順位で言えば佳織よりも下位のため口調は遠慮がちだ。
「学生が興味を抱かなければ講演を通じて志願者を発掘することできるはずないじゃない。私だって通信幹部だから秘密保全については貴方よりも専門家よ」佳織としては秘密保全に十分注意して原稿を作成し、終了後の質疑応答にも対応していた。そのため今年は香川県内の大学からの一般(部外)幹部候補生の問い合わせが倍増している。その自負を傷つけられて無意識に激昂していた。監察官はこの反応を予測していたのか丁寧な口調を維持したまま話を続けた。
「大学には学生を反自衛隊の活動に扇動している左翼系の思想を持つ教授も少なくありません。モリヤ1佐が学ばれたアメリカの大学とは思想傾向が違うことを理解して下さい」「私が日本の常識を知らないって言うのね」以前の佳織の身近には胸に溜まったストレスを吐き出せるゴミ箱が在った。そのゴミ箱には掃除機のような機能もあって心の底に散っている塵埃(ちりほこり)まで吸い取った上、丁寧に雑巾がけもしてくれた。佳織はそのゴミ箱式掃除機を不用な中古品として売りに出してしまったことを自覚した。
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  1. 2020/06/07(日) 13:06:08|
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