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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月8日・ドイツの堀栄三将補・ゲーレン少将の命日

1979年の明日6月8日は敗戦後のドイツ軍において陸上自衛隊で堀栄三陸将補が果たすはずだった役割を成し遂げたラインハルト・ゲーレン少将の命日です。
ゲーレン少将は1902年にプロイセン=ドイツの中央部のエアフルトの中産階級の家庭で生まれました。プロイセンが第1次世界大戦で敗れて2年後の1920年に陸軍に入営し、アドルフ・ヒトラー政権が成立して軍備拡張を開始した1933年から参謀士官の教育を受け、1936年に参謀本部第1部作戦科に配属されました。1939年6月1日に第2次世界大戦が始まり、1941年6月22日にナチス・ドイツがソ連に侵攻した東部戦線が膠着状態に入った1942年に東方外国軍科に転属するとロシア革命のドサクサの中で否応もなしにソ連に組み込まれたバルト3国やソ連軍捕虜を使った諜報組織を作りました。中でもレニングラード救援作戦で捕虜になったソ連軍の英雄・アンドレイ・ウラソフ少将にロシア反共解放軍司令官の肩書を与えて投降を呼びかけさせるとソ連軍兵士の集団投降が続出し、多大な成果を上げたのです。ところが1945年4月16日に東欧を制したソ連軍がドイツ国境に迫っている現状を陸軍参謀総長に促されて総統大本営で報告すると直前に発生した暗殺未遂事件で猜疑心が昂ぶっていたヒトラー総統は激怒し、参謀総長と共に解任されました。しかし、4月9日には国防軍情報部長のヴィルヘルム・フランツ・カナリス海軍大将が暗殺未遂事件に関与したとの嫌疑で処刑されており、戦争の最終局面にあったナチス・ドイツの諜報の専門家は国家保安部外国諜報局のヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルク親衛隊少将のみになりました。
1945年5月8日にナチス・ドイツが降伏するとゲーレンツ少将は2週間後にソ連軍の飛行場、発電所、軍需工場、発電所などの軍事資料を詰め込んだ防水ケース50個を手土産にアメリカ軍に投降し、戦時中に諜報工作に協力しないソ連軍捕虜への虐待容疑が掛けられていたにも関わらずアメリカへの密出国に成功したのです。
敗戦後はアメリカの諜報機関に加わり、ナチス・ドイツで組織した対ソ情報網を継続した「ゲーレン機関」を設立してアメリカの秘密資金の提供を受けて対ソ諜報戦を開始しました。1946年7月には連合軍の占領下にあったドイツに戻り、潜伏していた親衛隊やナチス・ドイツ軍の諜報要員を呼び集め、戦犯指定を解消した上で採用してゲーレン機関を拡充していきます。その結果、ゲーレン機関は冷戦構造がハッキリしてきた頃にはソ連の支配をうけた東欧圏で機能しており、ソ連のKGB(カー・ゲー・ベー)からはアメリカのCIA以上の脅威とされました。1955年に西ドイツに連邦情報局(BND)が設立されると初代局長に就任し、1968年まで務めました。
この軍歴を見る限り、戦時中から抜群の情報収集と分析能力を発揮して「マックアーサーの参謀」と仇名され、吉田茂首相の側近として警察予備隊=自衛隊の設計図を描いた辰巳栄一中将に「情報部門の設立・育成」を託されながら海原治に代表される警察官僚によって封殺されて退役した堀栄三陸将補や同様にソ連情報の専門家でも諜報は素人の警察にスパイ容疑で逮捕された宮永幸久陸将補よりも武運は強かったようです。
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  1. 2020/06/07(日) 13:07:46|
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