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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1942

梢の誕生日の前日にイージス艦・あまごと漁船の衝突事故の裁判の無罪判決が確定したとの書簡が届いたが、今度は私の誕生日の翌日に思いがけない電話が入った。統合幕僚長から2級賞詞が授与され、在オランダ大使館で防衛駐在官の近藤1佐が代理で伝達すると言うのだ。
「ワシは賞詞をもらうようなことはやってないけどな」近藤1佐からの電話を切って傍らで聞いていた梢に声をかけると苦笑しながら首を振った。
「貴方には自覚がなくても周囲は評価してるのよ。貴方はお義父さんから『努力に不可能はない』って言われてきたことを『できないのは努力が足りないからだ』って自分を責めていたじゃない。スポーツなんか曹侯学生の同期が体力測定中に殉職したから『生きている間は限界じゃあない』って滅茶苦茶なことを言って聞いている私としては返事に困っちゃったわ」梢の思い出話は過去形ではない。今も私は矢作南小学校で学んだ本多光太郎先生の「つとめてやむな」を人生訓にしている。それでも糞親父の御託宣は体育学校で限界を見極めたことで「所詮は努力で何とかなる程度の経験しかしていない人間の戯言」と廃棄処分にした。私が淳之介と志織に与えた教訓は「努力に限界はある。しかし、ネバーギブアップだ」である。
「それなら牧野弁護士と滝沢弁護士にも感謝状を贈るのかなァ。前回の手紙には何も書いてなかったけど」「弁護士さんたちには弁護料で報いるけど、貴方は基本給だけだから賞詞を贈ってくれるのよ」これでは2級賞詞は報酬と言うことになってしまうが当たっていないことはない。今回は刑事裁判でも2人は国選弁護士ではなく自衛隊の賠償責任保険から弁護士費用を支出している。勝訴だったので一般的な謝礼金も加えた報酬を受け取るはずだ。実はその契約交渉も法務官の担当業務に含まれる。実は司法試験に合格した法務幹部を2佐に特例昇任させるのは「同じ国家公務員の裁判官、検事に相当する給与を支払うため」と言われており、同じことは看護師でも行われているので白衣を脱いで制服を着ると幹部ばかりだ。
「当然、お前も出席するんだぞ」「はい、私設秘書として参列させていただきます」「今回は和服だな」梢には日本女性としての礼装を命じておきながら私自身の服装については頭の中で祖父の趣味だった麻雀のように色々な案が掻き回さっていた。第1希望は70式の薄茶色の旧1種夏服での通常礼装だが、着用していたのが2尉までなので廂(ヒサシ)に刺繍が入った佐官用の正帽を持っていない。現在の91式制服は襟にゴチャゴチャと職種徽章を付けなければならず、肩の部隊章上部の兵科色で十分だと思っている私には煩わしさしかないのだ。普段の3種夏服ではオランダ軍の売店で買った黒のベレー帽にPKOの時の国連章を装着してかぶっている。第2希望は迷彩服だが乙武装で儀式に臨む訳にはいかない。第3希望は現在の1種夏服の下に開襟の3種夏服を着て帝国陸軍の夏用軍装のようにすることだ。希望外は現在の職務上の制服である国際刑事裁判所の法廷服だが、それにいても海外の自衛隊の配置外の職務に配置されてからの私は「服装規則を守ろう」と言う常識が全く機能しないらしい。
翌日は公判があったため翌々日に在オランダ日本大使館防衛駐在官室で2級賞詞の伝達が行われた。梢は指示通りに和服、私は今回の儀式の会場が室内ではなく屋内になり、何故か正帽をかぶるため職種徽章を付けない91式の第1種夏服の礼装にした。一方、近藤1佐と在外公館警備官の1尉は白の詰襟の海上自衛隊の第1種夏制服だ。梢は近藤1佐の机の脇から私を見守り、若い大使館職員がカメラマンとして撮影している。ソファーの向こうには近藤1佐と在外公館警備官夫婦に顔馴染みになっている女性事務員の4人が拍手要員として並んでいる。他の大使館員を動員できないところが自衛隊の立場のようだ。
「それでは僭越ながら統合幕僚長からの2級賞詞を代理伝達させていただきます」司会進行を兼ねている近藤1佐は前置きの後、机の上に置いた黒の漆塗りの四角い盆から賞詞を取り出して顔の前に立てた。流石に少し緊張しているようで白手袋では紙を取り難そうだった。
「2級賞詞、陸上幕僚監部付、2等陸佐、モリヤニンジン、右は・・・」かなり練習をしていたらしく音読みの私の名前も滞ることなく読んだ。内容としては具体的にイージス護衛艦衝突事故の裁判における弁護の功績とはせず、法務幹部としての特殊な業務に精励したことを転出に当たり表彰すると言うものだった。そのため所属は現在の陸上幕僚監部付になっている。
「なお海上幕僚長からも無罪判決の獲得に尽力下さったことに心からの感謝を伝えてもらいたいと直接の電話がありました。有り難うございました」賞詞を渡した後、近藤1佐が補足した。やはり梢が言う通り、本人に自覚がなくても少しは自衛隊のために役だったらしい。
その後は写真撮影会になったが、梢とのツーショットは引き延ばして那覇と石垣島の安里家に送りたい。全員の集合写真はオランダのモリヤ家用だ。それにしても1つ防衛記念章が増えて台座に組み直さなければならなくなった。その台座も送ってきたから文句は言うまい。
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  1. 2020/06/11(木) 11:52:45|
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