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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1943

結局、佳織は予定通り8月1日付で陸上幕僚監理部へ転属した。講演を依頼されていた香川県内の大学や高校には後任者が防衛大学校の大学院に相当する研究科出身であること説明して了承を得たところだけを申し送り、それ以外は事務的にキャンセルした。後は高松空港から羽田へ飛べば移動完了だが、佳織は盂蘭盆会の墓参を省略するため伊丹に寄った。
「近くにいながらお参りに来られずにごめんね。ウチが忙しかったことは判ってるんやろ」バケツに汲んできた水で墓石を洗い、駅前で買ってきた花を生け、菓子を供え、線香を焚くと佳織は神妙に手を合わせた。ここで夫がいれば戒尺を打ちながら読経を始めるのだが、ハワイのノザキ家とは宗旨が違うので佳織には使い分けができず、黙って頭を垂れただけだった。
香川県での2年間も夫が来た時に幾つかの寺へ参った以外は山門を潜ったことがなく、県内各地に移動する官用車の後部座席から白い装束を着て笠をかぶった遍路たちを見かけても特に気に留めることはなかった。今となると戸籍上はモリヤニンジンの妻とは言え、坊主の自衛官と結婚したのであって寺のお庫裏=女房になった覚えはないのだ。
「私、東京に戻ることになりました。お盆はハワイに帰るから来られません」昨年の秋、モリヤがオランダに赴任する前の秋夕(チュソク)に参ったことはママさんから聞いているが、佳織にとっては死んだ母親と祖父母よりも生きている娘と父親を優先するのは至極当然なことで、こうして赴任の途中で遠回りしただけでも十分に責任を果たしているつもりだ。
「位牌はオランダに持ってっちゃったけど遺影はあるから東京でもお参りするよ。したっけなァ・・・」伊藤家の位牌はモリヤが自宅で供養を勤めていたので、そのままオランダに連れて行ってしまった。あの性格であればオランダでも朝夕の読経は欠かしていないはずだ。逆に佳織は多忙にかまけて手を合わせるのも忘れがちだった。その点、志織はノザキ家でも朝起きてリビングに入ってくると先ず先祖と叔父に拜礼している。一緒に生活していても佳織には身につかなかった信仰心を志織が受け継いでいるのはやはり血統ではないか。今回、佳織は市ヶ谷から最寄りの1佐の官舎に入るはずだったが、3月に防衛駐在官として海外に赴任することが内定しているため前回と同じ福生市の官舎の別の棟に戻ることになった。
「それじゃあ新大阪から新幹線に乗らなくちゃいけないから帰るわ。次は何時になるか判らへんけど手が空いたらきます。それでエエやろ」佳織は合わせたままだった両手に力を入れると今度は深めに頭を下げた。この市営墓苑では菓子などの供物はホームレスやカラス、野犬などを呼び寄せ、生花は腐敗するので持ち返らなければならない。佳織は空になったバケツに菓子と生花を淹れると立ち上がって歩き出した。
「古河・・・」墓苑の入り口のゴミ箱に生花を捨て、雑巾を針金に掛け、水道の脇の棚にバケツを戻そうとすると手を伸ばしてそれを受け取った初老の男性がいた。その顔を見て佳織は凍りついてしまった。白髪になって還暦前後の風貌になってはいるが、それは間違いなく帰国して転入した市立中学校の担任の教師だった古河覚(さとる)だ。国語担当だった古河は帰国子女である佳織に図書室で長時間の個人教育で日本語を教え、その熱心な態度に佳織も全幅の信頼を置いていた。ところが初めての中間試験が近づいた頃、図書室を閉める時間になっても個人教育が終わらず、自分のアパートで続きをやるように誘い、そこで肉体を奪ったのだ。それが佳織の初体験だった。それから古河は毎週のようにアパートに誘い、ペットを調教するかのように性行為を強要した。それを日誌につけていたためのアパートを訪ねた恋人の教師・後藤圭子が発見したのだが、教職員組合の活動家だった古河が免職になることはなく県内の過疎地の中学校に転勤させられただけで揉み消された。佳織は祖父母が自宅を売って作った学資で私立の国際学校に転校したが、祖父母の安定した老後を奪う結果になった。
「これはどうも」古河は顔を背けている佳織には気づかないようで紳士的に声を掛け、受け取ったバケツに蛇口から水を注ぎ、その間に干してある雑巾を持ってきた。
佳織が振り返ると通路には古河と同世代の女性と30歳代半ばの男女、さらにあの頃の佳織と同じ年代の女の子が待っていた。どうやら古河も順当に家庭を築き、孫まで得ているらしい。妻と思われる女性と子供夫婦らしい男女は眼鏡を掛けて優等生風の容貌なので教師のようだ。
「おーい、お待たせ」「お祖父ちゃん、遅いよ。日に焼けちゃうじゃない。もうガングロ・ブームは終わったんだよ」佳織がユックリとした足取りで遠ざかると古河は家族に声を掛け、孫が憎まれ口を叩いた。それを古河は「スマン、スマン」と優しく受け止めている。
「若し、ここにあの人がいたらどうしたんだろう」佳織は場違いに楽しげな古河一家の後ろ姿を眺めながら夫・モリヤがこの状況に直面すればどうしたのかを想像してみた。志織がレイプされそうになったと聞いたノザキ中佐は「相手を殺す」と言ったが、モリヤなら・・・。
ん13イメージ画像
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  1. 2020/06/12(金) 13:32:44|
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