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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月15日・戦時下で日系人部隊の再編成が始まった。

1942年の明日6月15日にハワイで後の第442戦闘団の基幹となる日系人による第100歩兵大隊の再編成が始まりました。第100歩兵大隊は1940年10月29日にハワイの日系移民を徴兵の対象としたことで新編された部隊です。
1941年12月8日に日本海軍がハワイ・真珠湾を空襲すると海岸の防備に当たっていましたが、フランクリン・ルーズベルト政権は日独伊三国軍事同盟と敵対関係になったにも関わらず日系人だけを敵視し(市民レベルではドイツ人、イタリア人にも敵意と警戒心を抱いていたが)、アメリカ本土では強権発動の根拠となる法律もなく大統領命令だけで移住して真面目に働いて築いた生業や財産を奪い、犯罪者が収容される都市部の刑務所よりもはるかに待遇が劣悪=過酷な砂漠地帯に設置された強制収容所に収監しました。一方、ハワイでは移民の人数が多く、流通業などで社会に果たしている役割が大きかったため指導的立場にある者だけを重点監視し、危険人物だけを収監するに留めていましたが、武器を持たせて軍務に就かせることには不安を抱き、事実上の任務停止=解隊状態にしていました。
そんな中で日本が国際連盟創立時に主張した「人種差別の解消」を大義名分とする「大東亜新秩序」=「アジアの植民地からの解放」を戦争の目的に掲げるとアメリカが日系人だけを強制収容していることを格好の実例としてアジアでの反英米宣伝に利用し、ナチス・ドイツもヨーロッパで同調したのです。これを受けてルーズベルト政権は「日系人をアメリカ人と認めている証拠」として戦争前には陸軍内で高い士気と練度を絶賛されていた第100歩兵大隊の再編を内々に決定し(非公表)、徴兵対象でも予備役扱いにしていた1432名を召集して「ハワイ臨時歩兵大隊」を編成すると離島航路の小型船・マウイ号でカリフォルニア州のオークランドへ送り、北部五大湖沿岸のウィルコンシン州のキャンプ・マッコイで訓練を開始したのです。この「臨時歩兵大隊」は大隊長以下3名のヨーロッパ系士官以外は幕僚と各中隊長の士官から下士官、兵に至るまで全て日系人で、戦線の拡大に伴い拡充が予想される「日系人部隊」の基幹要員として練成する意図が明らかでした。しかし、ルーズベルト政権は国民に日本への敵意を扇動することを優先したため多くの日系人が志願し、訓練に励んでいる事実を国民に公表せず、正式に日系人部隊の編成が発表されたのは第100歩兵大隊がミシシッピー州のキャンプ・シェルビーに移動した1943年1月28日になってからです。現在では日系人2世部隊の代名詞になっている第442戦闘団はこれ以降に募集された将兵で編成されました。
実はこの前からアメリカ軍は日本軍の無線傍受と通信文の翻訳、暗号解読や通訳などに約3500人の日系人を動員していたのですが、あくまでも個人の特例的軍役であって部隊を編成したのは第2次世界大戦下ではこれが初めてでした。
また本土からの志願者たちは家族が強制収容所から解放されることを期待していましたが、閉鎖されたのは1945年9月2日に日本が降伏文書に調印して2ヶ月が経過した11月から年末にかけてでした。ただし、第442戦闘団がヨーロッパ戦線から帰還したのは1946年7月中旬ですから家族は強制収容所にはいなかったことになります。
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  1. 2020/06/14(日) 13:20:27|
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