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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1948

翌日は早朝に起こされて個人に配られているコンバット・レーション(携帯食)を食べると空気が冷たい間に長い坂道を下り始めた。アメリカ軍では1日分の水と食料は自己管理なので、訓練前にコンバット・レーション3食と水筒2本分の水を配布すれば後は関知しない。一方、指導教官が深夜に個人用テントから小銃を奪う恒例行事は受講生の間で先輩から後輩への申し送りになっているため不発だったようだ。
快適な冷気の中、急な坂道を下っていくと小隊の先頭を歩く2人のヨーロッパ系の男子受講生たちは競い合うように歩調を早め始めた。地面を跳躍するように踏み切れば歩幅は3段跳びのようになり、それが隣りよりも遠ければ勝ったような気分になるようだ。危険を冒して急な下り坂で跳躍することは蛮勇の誇示にもなり、運動神経を証明しているつもりなのかも知れない。
「下り坂は速度をセーブ(抑制)しないと怪我と故障の原因になるわ」身長が高い順に並んでいるためどうしても女子は後方になる。志織が抗議しても声が届かないようだ。前方の背が高い連中は勝手に駆け出しているが、列の中央以降は同調せず小隊は2つに分かれてしまっている。最後尾を付いてくる指導教官の海兵隊の軍曹は無表情に傍観しているだけだ。
「今のプラトーン・リーダー(小隊長)は誰」「ベンじゃないの」志織が声をかけると前を歩いている女子受講生が振り返って答えた。ベンと呼ばれている男子受講生は海兵隊要員のアフリカ系で、分かれてしまった前の列の最後尾、小隊の中央を歩いていた。今回の訓練で志織は予備士官訓練課程(ROTC)参加者の中でも海軍と海兵隊の軍種、ヨーロッパ系とアフリカ系、アジア系、現地人の人種、所属している大学の違いなどが複雑に絡み合って微妙な対立が存在していることを実感した。おそらく小隊長のベンも先頭を歩くヨーロッパ系の受講生たちの暴走を制止することで「臆病」「僭越」と見られることを懸念して、仕方なく前の「勇者」の集団の最後尾について行った可能性もある。
「小隊、止まれ」前の集団との距離が歩調を早めただけでは追いつけないほど開いたところで、志織は列の横を駆け抜けて前に立つと大声で小隊を停止させた。それに受講生たちが従ったのは誰もこの状況に対処する腹案を持っていないのだ。
「指揮不在の事態が生起したと判断し、当小隊の指揮をミジップマン・モリヤが代行する。当小隊は現在の歩度(一定時間の歩数)を維持しながら目的地に向かって前進する。前へ、進め。道足」志織は停止した後半の集団の前で父譲りの指揮官振りを発揮すると号令をかけて列の中央に入って歩き始めた。確かに部隊行動中は指揮官の下に一糸乱れず組織としての機能を維持しなければならないが、指揮官が戦死することも戦場の常識ではある。その場合の代行者は階級の序列で決定するのが軍の制度だが、ここでは全員が受講生と言う同一の立場なので志織が立候補した。指導教官は黙っているので志織は容認されたものと判断し、父からの指導を思い出しながら小隊長として指揮を執った。
「ミジップマン・モリヤ。先ほどの指揮権の行使の根拠は何だ」管理地区に到着して訓練が終了すると志織は指導教官に声を掛けられた。志織の指揮は1キロほど歩いたところで待っていた前半の集団と合流したところで終わった。やはり重い背嚢を背負っての徒競争は長続きしなかったのだ。志織は小隊長のベンに状況を説明すると最後尾の列員に戻ったのだが、指導教官はその一部始終を黙って観察していた。
「根拠はありません。非常事態の超法規的処置です」志織の返事に指導教官は厚い唇を歪めて苦笑した。今回は深い廂(ひさし)の奥で黒い瞳が浮き上がる目が笑ったように感じた。
「君は海軍要員だったな」「アイアイ・サー」訓練の終了が宣言されているので志織はあえて海軍式の返事を用いている。指導教官の二人称「ユー」の語調も訓練中のように高圧的ではない。気がつくとその背後には小隊長のベンも立って耳をそばだてている。
「機械相手の海軍では合理的判断とか言う小理屈が必要らしいが、我が海兵隊においては指揮官が走り出せば兵士も全力で後を追うんだ。ついていけない者がいれば銃を突きつけて追い立てる。それでも遅れるようなら足元の銃弾を撃ち込む。それが海兵隊だ」「アイアイ・サー」それでも理尽くめで反論しないことで指導教官に対する敬意は表しているつもりだ。
「君は日本陸軍が硫黄島で海兵隊を敗ったと言ったが、日本陸軍の万歳突撃は走りながらの集団自決だったんじゃあないのか」「ノー・サー。父の曾祖父の青山寛少将は日露戦争に橘大隊の小隊長として出征し、沙河の激戦を経験したそうです。青山中尉は指揮官として先頭を駆け出す時、一瞬だけ兵士を見回したと言います。この『一瞬の確認』の有無が日本陸軍とアメリカ海兵隊の違いのようです」アメリカ海兵隊でも指揮官が突撃を命じる時、部下の様子を確認するのは当然だ。それを怠ったことを遠回しに指摘されてベンは黙ってうなだれた。
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  1. 2020/06/17(水) 13:28:13|
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