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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月23日・日朝対戦寸前!五所川原抗争事件が発生した。

昭和23(1948)年の明日6月23日に青森県北津軽郡五所川原町(現在の五所川原市)で香具師(=祭礼などで屋台を出店し、経営する業者)と在日朝鮮半島人の大規模な抗争事件が発生しました。
事件の発端は6月20日に岩木川の河川敷の五能線の鉄橋と101号線の乾橋の間にある北斗グランドで開催された町立五所川原小学校の運動会で香具師1人と在日朝鮮半島人が喧嘩になり、毎度の如く周囲にいた半島人が加勢して香具師が袋叩きにされたのです。
当然、香具師は報復を考えましたが凶暴性は半島人側の方が勝っており、6月22日に「香具師6人が町内の遊郭で遊んでいる」との情報を入手すると日付が変わった午前3時に半島人15人が棍棒などを持って襲撃し、乱闘になったため五所川原警察署が急行して香具師と半島人18人を逮捕しました。この噂が広まると青森県内だけでなく東北・北海道からも双方の支援者が終結し始め、全面抗争の様相を呈したのです。これを受けて五所川原警察署は占領軍司令部がアメリカのFBIを参考に設置していた国家警察の青森本部や占領軍地方軍政部に支援を要請し、集結している支援者を拘束するとトラックで郊外に運んだのですが、それ以上の人数が続々と到着し、運んだ支援者も脱走して駆けつけたため一色即発の事態に陥っていきました。
この危機に地元選出で戦前には青森拳闘倶楽部(=ボクシング・クラブ)を主宰し、地元新聞の社長を務め、戦後も昭和23(1948)年6月から津軽酒造の社長に就任していた県議会議員が調停を買って出て、両者の代表者を自宅に招いて話し合いの席を設けたのです。この席で「過去のことは一切水に流す」「不穏な事態が起こりそうになったら責任者に連絡を取って防止に努める」と言う誓約を交わし、事態は終息したのですが4年後の昭和27(1952)年2月には対岸の木造町の警察署が在日朝鮮半島人に襲撃され、応援に駆けつけた警察官が集団に暴行を受ける事件が発生しているので、地域の有力者である県会議員の顔を立てただけで、実際は日本人を舐め切っていたようです。
戦前から戦中は日本人の健康体の青年たちには漏れなく召集令状が届き、根こそぎ出征していたため、労働力不足が深刻な地方には徴兵がなかった朝鮮半島で募集した多くの半島人たちが家族連れで移住して農業や漁業、林業などに従事していました。このことを現在の韓国では強制徴用などと史実を捏造していますが、勧誘のため好条件を過大に提示することはあっても公権力による強制を示す公文書の記録にありません。特に気候が厳しい東北や北海道では住民が短命だったため人口密度が低く、家族での労働の代行が困難だったので多くの半島人を受け入れたのですが、冬季には農業の収穫がなくなるため期待していた豊かな生活は果たせず不満が鬱積していたのです。さらに敗戦後3年が経過すると海外に抑留になっていた出征兵士の復員が本格化し、半島人たちの必要性は低下していきますが、占領下で復興に手一杯だった日本政府には帰国費用を与える余裕はなく、その不満を毎度の如く日本人を逆恨みしてカタギとヤクザが半々の存在だった香具師でも怖れずに集団の力で暴行し、全面対決を実行しようとしたのでしょう。
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  1. 2020/06/22(月) 13:58:50|
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