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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月27日・これが韓国だ!保導連盟事件が始まった。

朝鮮戦争が始まって2日後の1950年6月27日に京城(ソウル)から逃亡する李承晩大統領の命令によって韓国軍と官憲による韓国民の大虐殺・保導連盟事件が始まりました。
日本統治下の朝鮮半島内での独立運動=民族闘争は極めて低調だったもののソ連が送り込んだ工作員による共産革命の火種は全土に蔓延していて、日本の敗戦と同時に火の手を上げてアメリカによる占領を拒否して金日成を盟主とする統一国家を樹立するはずでした。ところが朝鮮総督府は日本政府がポツダム宣言の受諾を連合国に伝達する前にアメリカでのキリスト教系独立運動活動家に行政権を移譲したため敗戦と同時に半島の南半分に李承晩を首班とする大韓民国が成立してアメリカ軍を中心とする連合軍が進駐したのです。徹底した反共産主義者だった李承晩大統領は自国内に革命分子が存在していることを察知すると1948年12月1日に国家保安法を成立させて摘発と弾圧を始め、その一方で要監視者を教育によって懐柔するため1946年6月5日に組織したのが保導連盟でした。
保導連盟では「大韓民国絶対支持」「北傀儡政権絶対反対」「共産主義排撃粉砕」「南北労働党暴露粉砕」を綱領に掲げる逆洗脳教育を強制した一方で転向を拒否した者の家族には「登録すれば共産主義者としての処罰から逃れることができる」と勧誘するなど曖昧な点も多く、「食料の配給を受け易くなる」などの理由で形式的に登録する非転向者もあり、当初から実効性には疑問が持たれていました。
そんな中、共産主義による民族統一国家の樹立を旗印に掲げた北朝鮮が南北の境界線だった38度線(当時は緯度の通りの直線だった)を突破して侵攻を始めたため李承晩大統領は「思想傾向がハッキリしない保導連盟は敵を誘導し、味方を攻撃する危険性が高い」と断定して保導同盟の登録者と南朝鮮労働党員を抹殺するように命令して京城を脱出したのです。これを受けて韓国内では該当者の一斉拘束が始まり、韓国中央にある大田刑務所に集められた拘束者が多数処刑されたほか、非戦闘地域を含む全土の刑務所で処刑が行われました。その他にも地域単位で該当者が集められ、掘った穴に入れて韓国軍の兵士や警察官が射殺した事例も極めて多く、済州島では識別不能になった全島民の抹殺を意図した大量殺戮が繰り広げられました。さらに侵攻してきた北朝鮮軍にとっても保導連盟は朝鮮労働党を裏切った反逆者であり、占領地域で同様の大量処分を行ったようです。
この事件は韓国史の恥部として軍人政権だけでなく文民政権になってからも隠蔽され続けたため生存者・目撃者の高齢化によって遠からず記憶からも忘却されるはずだったですが、自国と日本を断罪することを存在意義にしていた盧武鉉政権が本格的な調査に着手し、公式な処刑記録は焼却されていたものの証言を集めて人数を推定する一方で「射殺が行われ、埋設された」とされる場所を発掘して多数の遺骸を発見するなど信じ難い国家による大量殺害事件が事実だったことが証明されたのです。
ただし、あくまでも韓国がやることなので被害者数は公式に確認されている4934人だけでなく遺骸を海に遺棄された者や未発見の者を大幅に上乗せして、盧政権の推定11万人から被害者団体が主張する120万人にまで膨らんでいます。
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  1. 2020/06/26(金) 13:11:41|
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