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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月27日・ここで止めていれば!松本サリン事件が発生した。

1994年の6月27日深夜から28日未明に長野県松本市で軍事常識では化学兵器に属するサリンが噴霧され、8名(1名は14年後)が死亡する事件が発生しました。
野僧は事件当時、浜松基地の警備小隊長だったので生物・化学兵器についても在日アメリカ軍や陸上自衛隊化学学校から資料を取り寄せて研究しており、テレビや新聞が「松本市で悪臭騒ぎ」と報じながら被害者が出た地域=範囲と人数、症状だけを紹介している段階から「神経ガス剤の噴霧による大量殺人」と推定し、北朝鮮の核開発疑惑を巡り極東情勢の緊張が高まっていることと考え合わせて北朝鮮工作員によるテロを前提に部内外の関係者と協議を始めたのです。すると間もなく公安警察の友人に呼び出されて厳格に口止めされた上で「オウム真理教が山梨県内の教団施設で自主開発した化学兵器によるテロの可能性が高い」と情報を漏洩してくれましたが、その一方で「現在は社民党の村山政権であり、元警察官僚の亀井静香が政権を取り仕切っている以上、マスコミの批判が強い宗教団体の捜査は慎重に進めなければならない」とつけ加えました。実際、この事件では公安警察と長野県警の捜査担当者の情報共有は行われていなかったようです。
このテロ事件はオウム真理教が松本市内に食品工場と修業道場を併設した教団施設を建設しようとした際、「食品工場」とだけ説明を受けていた地主が「目的を隠蔽して貸借契約を結んだ」とする契約の無効を求める民事訴訟を起こし、1度は却下されたもののオウム真理教の反社会性を加えた訴状を長野地方裁判所が受理したため食品工場が建設できなかったことを教祖の松本智津夫が弟子たちの前で非難したため始まりました。実はこの事件の前年にオウム真理教はサリンの精製に成功しており、1993年には創価学会の池田大作会長の暗殺を2回実行したものの失敗し、野僧と同郷で愛知学院大学卒の幹部が重体に陥っていました。この日の午後、山梨県上九一色村の教団施設で3度目の暗殺用に精製したサリンを4tトラックのアルミ製の荷室内に噴射装置を設置した噴霧車に充填して護衛のワゴン車と共に目標とした長野司法裁判所松本支部に向かって出発したのです。ところがサリンの充填に手間取って出発が遅れ、監視カメラを避けて一般道を走行したことで到着予定時間が大幅に遅れたため目標を裁判官官舎に変更し、22時頃に到着すると50分かけて噴霧を実施しました。この結果、裁判官官舎ではなく風下になった生命保険会社の寮と一般のマンションや民家に被害が及び7名が23日中に死亡し、約600名が重軽度の傷害を負いました(ただし、裁判の迅速化のため因果関係が明確な重傷者144名に絞られた)。
さらにこの事件では第1通報者で妻も14年間意識を取り戻すことなく亡くなった会社員が自宅に薬品類を所持していたことから犯人の疑いをかけられ、警察の捜査を無視する形でマスコミが暴走し、薬品がサリンであることが判明してからも「サリンはバケツで薬品を混ぜれば簡単に作ることができる」などとお手軽な専門家に解説させる報道番組が続出しました。結局、このマスコミの誤報による冤罪は1995年3月20日の地下鉄サリン事件がオウム真理教の犯行と確定するまで晴れることはありませんでした。過剰で執拗なオウム報道はマスコミが誤報を謝罪・訂正する代わりの自己弁護だったようです。
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  1. 2020/06/27(土) 13:23:18|
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