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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1959

翌日は主人の車でバートラガーズから近いマイエンフェルトを案内してもらった。この軍用仕様のOD色の4WDも購入に際して戦時に供出することを前提に補助金が出たそうだ。
「何だか日本人ばかりだな」マイエンフェルトの街に入るとハイジに出てきたような古民家や石畳の道で写真を撮っているのは「アルプスの少女ハイジ」を見て育った世代の日本人の女性たちばかりだった。隣りの席で梢も驚いたような顔をしている。
「日本の『ハイジ』でバートラガーズはクララやゼ―ゼマン家の祖母が湯治した場所として紹介されたから、今でもホテルの宿泊客の半分は日本人なんです」そう言われてもう一度窓の外を見ると確かにアニメの中でオンジやハイジが歩いていた風景のようだ。それにしてもヨハンナ・シュペリが「アルプスの少女」を発表したのは1880年だから日本で言えば明治初期だ。日本では明治の文明開化や第2次世界大戦の空襲、敗戦後の高度経済成長で文化財に指定されていない古い街並みの大半は失われてしまったがスイスでは国全体が明治村になっている。
「日本の『ハイジ』は1977年にドイツで放送されたので私も見ました。翌年にはイタリアでも放送されて、それから何度も再放送されましたからスイス人の過半数は見ていると思います」「スイスでは放送されなかったのかね」私の単刀直入な質問に主人はルーム・ミラーで私の目に知的好奇心しかないのを確認してから口を開いた。
「実はスイスの文化人の間では『日本のアニメはシュピリの原作を変質させている』と言う批判があるんです。スイスで作られた映画やドラマのハイジは怯えた目で祖父を見ますが、アニメでは信じ切ったように真っすぐ見ている。私はそこに好感を持ちましたが、変質と言われればそうかも知れません」「私たちも原作の小説を読んでいるが、祖父の過去、特にイタリアの傭兵だった軍歴や大工の事故でハイジの父親を死なせた過去などは描かれていない。それに地元のキリスト教会に異端者にされて住民からも敵視されていたことも原作では重要な要素なのに子供向けのアニメでは全く触れていない」私たちの物語への理解が一般の日本人観光客よりも深いことを知って主人は感心したようにうなずいた。
「おまけに原作には登場しないサン・ベルナール犬がアニメでは重要な役柄を演じていることで、日本人にはスイス・イコール・サン・ベルナール犬と言う固定観念があるのではないかと批判する文化人もいました」「だけどセント・バーナードはスイス人にとって嫌悪する対象ではないはずです」今度は梢が反論した。それにしてもサン・ベルナールと言う犬種が救助犬として飼育していた修道院の名前のドイツ語読みで、英語読みならセント・バーナードになると理解した語学力は流石だ。私には判らなかった。
「結局、スイスでは今でもアニメやコミックは低く見られていますから文化人たちはアニメが感動を呼んで子供たちが見るようになることを危惧しているんでしょう」主人の見解は日本にも当てはまる。日本でも自分たちの知性と教養、要するに学歴をひけらかして庶民文化を否定する文化人と称する連中が少なくないが、スイスでも幅を効かせていると言うことだ。
「着きました。この坂道を登っていけばアルムの山小屋です」主人はマイエンフェルトの中心部を抜けて曲がりくねった山道を通り抜けたところで車を止めた。タクシーが数台待っているところを見ると日本人の観光客も来ているらしい。
アルムの山小屋の外観と構造はアニメに描かれていた通りだったが少し小さく、今では食堂になっていた。小屋の角にスイスの国旗が掲揚されているので立ち止まって敬礼をしてから中に入った。それを見て主人もサングラスを外して額に手を掲げ、梢は会釈した。
店内で軽食を食べていた日本人の観光客たちは迷彩服の私とGパンにトレーナーの普段着で入ってきた梢を見て顔を見合わせた。彼女たちは海外旅行用のお洒落着で、ここまで登ってくるのが大変だったことが判る踵が高い靴を履いている。同じ日本人でも遠路はるばるの観光客と往復とも列車旅行の私たちでは気分が違うのは仕方ない。
アニメの映像を思い出しながら店内を見回していると私の迷彩服に声をかけるのを躊躇していた店員が近づいてきたので主人が手で制して外に連れ出した。どうやら観光客たちも家の中を見学していて声をかけられ、逃げられなかったようだ。
「クライム エヴリィ マウンテン、サーチ ハイ アンド ロウ、フォロウ、エヴリィ バイウェイ、エヴリィ パス ユー ノウ・・・」アニメそのままの草原を見下ろし、遠くの岩山を仰いでいると今回は梢が唄い始めた。それにしても出てくるのはオーストリアが舞台の「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌ばかりだ(アメリカの映画だが)。やはりアメリカ民謡の「オー マイ ダーリン クレメンタイン=雪山讃歌」はロッキー山脈でなければ似合わないのだろうか。尤も「雪山讃歌」の原曲はゴールド・ラッシュの金鉱師の愛唱歌で登山とは関係ない。
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  1. 2020/06/28(日) 12:28:53|
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