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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月4日・アメリカ孤立主義の提唱者・モンロー大統領の命日

1831年の7月4日は独立戦争に従軍した最後の大統領であり、1915年5月7日にドイツ海軍の潜水艦・Uボートの雷撃によって客船・ルシタニア号が沈没して乗客1198名が死亡し、ウッドロウ・ウィルソン政権がその中にアメリカ人128名が含まれていたことを利用した世論工作によって参戦を決定するまでアメリカの外交の基本方針になっていた孤立主義の提唱者でもあるジェームズ・モンロー大統領の命日です。
モンロー大統領は日本で言えば徳川9代将軍・家重公を支える田沼意次さまが辣腕を揮っていた1758年にイギリスの植民地だったバージア州で曾祖父の代にスコットランドから移民してきた中級の農園経営者の長男として生まれました。11歳からワシントン州で教会の学校に入学し、16歳で大学に進学しましたがアメリカ各地で独立運動が激化していた1775年4月19日にイギリス軍が武器を撤収しようとしたことに反発した民兵との間で武力衝突が起こると上級生と一緒に24名で総督府の武器庫を襲って200丁のマスケット(先込め式、ライフルは刻んでいない雷管式小銃)と300振りの剣を奪い、大学の所在地の民兵を武装させました。翌年の春には大学を退学して独立軍に参加し、1776年12月26日のトレントンの戦闘で軍功を挙げましたが左肩を負傷し、治療のために戦列を離れました。ちなみに「トレントンの戦闘」を描いた歴史画で敵弾雨飛の中、渡河するボートの上で直立するジョージ・ワシントン将軍の背後で星条旗を持っているのがモンロー中尉なのだそうです。この治療中にトーマス・ジェファーソンから法律を学び、1781年に独立戦争が終息するとバージア州に戻って勉強を継続しました。同時に独立を果たした新国家の政治に参加することを志し、1782年にバージニア州の下院議員に選出されるとその後は新国家建設を巡る混乱に翻弄されますが次第に中央政界で存在感を増し、革命の5年後のフランス担当大臣=公使やイギリス担当大臣、バージア州知事、国務長官、陸軍大臣を経て、1817年から1825年まで第5代大統領に就任しました。
モンロー政権は独立から20年を経て国内の混乱も収まり始め、政界も不要な対立よりも国家建設に向けた議論を行うようになっていて、その一方で中・南アメリカ大陸を支配していたポルトガルとスペインが産業革命後の海軍力の近代化で後れを取ってイギリスやフランスに対抗して植民地を維持することが困難になり、それにアメリカに呼応した移民たちの独立運動が続発したことで大陸全体がヨーロッパから分離していました。この状況にモンロー大統領は1823年12月2日の一般教書演説で「アメリカ合衆国が北中南アメリカ大陸の代表であり、今後は大陸外の国家による侵略と支配を拒否し、アメリカ合衆国がその防衛の責務を担う」と宣言しました。つまりアメリカ大陸の鎖国であり、北中南アメリカ大陸をアメリカ合衆国が事実上支配すると言う孤立主義を国家の理念としたのです。
それから100年近くアメリカ合衆国と北中南アメリカ大陸は大陸外の国家の介入を拒否し、アジアではフィリピンに進出したもののヨーロッパやアフリカには不関与を続け、第1次世界大戦後も国際連盟には不参加(ウィルソン大統領は規約を決定する総会の議長でしたが)、第2次世界大戦でも日本が真珠湾を攻撃するまで中立の立場だったのです。
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  1. 2020/07/04(土) 13:53:50|
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