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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月8日・現役生活63年・リッコーヴァー大将の命日

1986年の7月8日は18歳でアナポリスの海軍士官学校に入営してから81歳で退役するまで現役生活63年間と言うアメリカ5軍(陸海軍と海兵隊、沿岸警備隊=おそらく世界最長なのでは)の最長不倒期間を樹立したハイマン・ジョージ・リッコーヴァー大将の命日です。86歳でした。
リッコーヴァー大将は1900年に帝政ロシア領だったポーランドのユダヤ人家庭で生まれましたが、当時、ヨーロッパ各地で頻発していたユダヤ人排斥の虐殺・迫害=ボグロムから逃れるため1906年にアメリカへ移住し、最初はマンハッタンのイーストサイド、2年後にシカゴに転居して父は仕立て屋で生計を立てるようになりました。その頃からリッコーヴァー少年も働いて家計を助けるようになり、高校在学中に電報配達人をしていた時に知り合った下院議員が保証人になってくれたためアナポリスの海軍士官学校に入ることができたのです。1922年に504人中107番の成績で卒業すると1年後に機関科士官に指定され、海軍大学校で学んだ後、コロンビア大学で電気工学分野の理学修士、さらにフランスのソルボンヌ大学に留学して博士号を得ると電機部門の技術士官として歩み始めました。そうしてペンシルバニア州フィラデルフィアの海軍資材部検査官事務所や掃海艇の士官乗員、フィリピンの海軍工廠、エンジニアリング局などで勤務し(海軍資材部では第1次世界大戦時のドイツ海軍の潜水艦隊司令官だったヘルマン・バウアー大将の著書「潜水艦」を英訳し、アメリカ海軍の潜水艦の導入教範として採用された)、アメリカが第2次世界大戦に参戦するとハワイ・真珠湾に転属して軍港の再建と破損した艦艇の修復、新鋭艦の検査などに当たりました。
終戦後の1946年になるとアメリカでは原子爆弾で威力を実証した核分裂エネルギーをエンジンとして使用する研究=マンハッタン計画が提案され、その海軍代表の研究員に選ばれました。マンハッタン計画ではアメリカを代表する物理学者たちと研究を進め、原子炉による巨大な推進力と燃料補給なしでの長期間にわたる機能維持が艦艇に極めて有用であることを確信して原子力潜水艦と原子力航空母艦の開発を海軍に提案し、これが採用されたことで「原子力海軍の父」と呼ばれる偉大な軍歴を重ねることになりました。とは言えリッコーヴァー少将(当時)が先ず取り組まなければならなかったのが原子炉の小型化で、第2次世界大戦中の潜水艦の拡大型の艦体幅の約8.5メートルに収まるようにする一方で安全性の確保は絶対条件なので容器の壁を薄くすることはできず、数え切れないほどの試行錯誤の末、加圧式原子炉・S1Vを完成させて1954年9月30日に世界初の原子力潜水艦¥ノーチラス号を就役させたのです。続いて1961年11月25日には原子力航空母艦・エンタープライズを就役させ、この両艦で実験を重ねて完成度を高めていきますが、最初の搭載艦でありながら爆発や放射能漏れなどの致命的な事故が起きていないのはリッコーヴァー大将の天才たる証左でしょう。
ちなみにジミー・カーター大統領は教え子で、周囲から「一緒に仕事をするのが難しい人物」と言われたリッコーヴァー大将に鍛え上げられた数々の逸話を自伝で紹介しています。
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  1. 2020/07/07(火) 11:21:33|
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