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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1971

「妙に落ち着かない雰囲気だな。昔、来た時には穏やかな国だと思ったんだが」杉本はトミタ少佐に公務が入っている間にバンコク市内を歩いて回った。バンコクは韓国への便に乗り換えるためにスワンナプーム空港で下りた時に時間つぶしで少し歩いただけだが、「微笑みの国」と言う宣伝文句を実感できる穏やかな空気が満ち溢れていた。しかし、今回は交通の喧騒とは別の埃っぽいざわついた空気が漂っている。
「ラーマ9世陛下の健康と長命を祈るかァ・・・」市内の商店の店先にはラーマ9世=プミポン・アドゥンヤデート国王の写真の下に趣旨を印刷したポスターが貼られていて、通行人が足を止めて手を合わせている。どうやら国民の絶大な崇敬を集めているラーマ9世が85歳の高齢になり、健康がすぐれぬことから入退院を繰り返しているため、それを客寄せに利用しているようだ。店主の顔を見るとやはりタイ人ではなく中国人華僑だ。
「それにしても国王の健康を祈るポスターとこんな政治的なポスターを並べて貼ってもいいのかな」どの商店にもラーマ9世のポスターの横に美しい女性のポスターが並んでいるので女優を使った広告かと思っていたが、何枚目かで立ち止まってタイ語の文字を読んでみると、それはインラック・シナワトラ首相への支持を呼びかけるタイ貢献党のポスターだった。
「チィゥ・インラ(=丘英楽)か・・・チィゥ・ダーシン(=丘達新)の傀儡め」杉本がインラック首相の美貌に身惚れていると横に立ち止まったタイ人の男性が店先に立っている華僑の店主に大き目の怒声を吐きかけた。丘達新と丘英楽はシナワトラ兄妹首相の中国名で、タイ語名のタクシンとインラックは日本式の音読みの準用とも言われている。あえて中国名で揶揄したのも華僑に対する敵対心の表現なのは明らかだ。店主が怒鳴ろうと踏み出すと男性は逃げるように路肩を歩いて行った。杉本はタイ国内の不穏な空気を目の当たりにして今回のタイ出張を許可した松山1佐が語学実習とトミタ少佐との人脈構築、おまけの生理休暇だけではない主たる目的を考えていたことを感じ取った。
「中国の一帯一路構想を実現するための政治戦略か。何にしても数百年も前から移住している華僑って道具を最大限に使ってくるから対応が難しいな」店主が声を掛けてきそうなので杉本もその前に退散した。以前であれば「策士危うきに近づく」とばかりにあえて火中の栗を拾って情報収集の糸口を掴んだものだが、今回は妙に慎重になっている。
「タイ人と華僑の対立」と言うキーワードを頭に刻みながら商店街を歩いて行くと軒先を並べる個人商店でも客が集まりやすい場所は華僑が独占していて、タイ人の農家が収穫した作物などを並べる露店も開かせていない。これだけでも華僑がタイの社会に中で確固とした地位を固めていることが判る。通りですれ違う歩行者の女性たちも華やかなワンピースや洒落たサマー・スーツを身にまとっているのは華僑で、色褪せたTシャツに薄汚れたスカートがタイ人の娘だから顔を見なくても一目瞭然だ。
「韓国では何千年も中華帝国に最も近い属国として仕えてきた民族としての自負を刺激してアメリカを日本に代わる新興の支配者として敵視するようになっている。日本でも沖縄を同じ手で手懐けようと躍起になっている。台湾では中国共産党を敵視していた国民党と大陸からの移住者の財閥が変節して1国2制度での統一を公言するようになった。東南アジアでも留学生をそのまま就職させて社会の中堅の地位を占めるようになった。それを可能にしているのは華僑が支配している現地マスコミだ」杉本が地方の国立大学を卒業して一般(部外)幹部候補生として陸上自衛隊に入ったのには大した理由がなかったが、昭和63年の国会の代表質問で民社党と共産党の議員が「北朝鮮による日本人拉致疑惑」を追及したことでマスコミも報じ始め、その活動の中心人物が新潟県で娘が行方不明になった両親であることを知り、南北朝鮮について関心を持つようになった。それからは得意の韓国語を駆使して韓国の新聞や雑誌を熟読し、ラジオ放送を聴取して独自に研究を始めたのだが、現在の職務に採用されて韓国に立ち入ってみると、同じような被害者がいても外国による「拉致」ではなく国内での「誘拐」と言う認識で、日本での問題は「所詮、被害者は日本人だ」と極めて冷淡・無関心だった。
「これは今田(こんだ=本間の偽名)と連携しなきゃいけなくなりそうだな。しかし、アイツを同行させると・・・」華僑側の情報を収集するには本間の中国語力が必要になる。本間はタイ語も観光旅行用程度は学んでいるらしいから同行させるには打ってつけだ。とは言え一応は女性である本間を同行させれば今回の再会で急速に距離感を縮めているトミタ少佐との関係が危うくなりかねない。そう考えると今夜の対策が心配になってきた。
「今夜に供えて精力がつく飯でも喰っておくか」精力がつくタイ料理としては鯰が有名だが、日本の鰻の代用のように蒲焼きにしてはもらえない。取り敢えず下町通りの屋台を巡ることにした。
インラック・シナワトラ首相インラック・シナワトラ首相
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  1. 2020/07/11(土) 13:45:53|
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