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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

拉致被害者の父親・地村保さんの逝去を悼む。

6月5日には北朝鮮による「拉致被害者の会」の創設者が亡くなったのに続き、7月10日に福井県小浜市の海岸で婚約者と共に拉致された保志さんの父親の地村保さんが93歳で亡くなったそうです。
野僧が掛塔(かとう・かた=入門)した福井県小浜市の僧堂では托鉢を修行の主体にしていて敦賀全域を隈なく回りますが、そんな中で小浜市内の山間部・飯森地区に行くと「拉致被害者を取り戻せ」と言うポスターを張った看板を掲げた家がありました。
野僧は西部防空管制隊で勤務している時、深夜に日本海を朝鮮半島から北陸に向けて接近する不審船を監視した経験があり、拉致事件には強い関心を持っていたため雲衲(修行僧)の間のローテーションを調整してその家で托鉢したのです。するとテレビで何度か顔を見たことがある小父さん=保さんが出てきて半紙に包んだ喜捨を渡すと続けるように仕草で促したため、通常は家族が出てきたところで終わる読経を災厄除けの陀羅尼に替えて続けました。保さんは門前まで見送って合掌して深く頭を下げました。
その後、集落の公民館で休憩になるとグランドでゲートボールに興じていた高齢者たちが集まってきてお菓子を配ってくれながらの雑談になったのですが、小浜の僧堂の雲衲はテレビやラジオはおろか新聞や雑誌も読むことができず、究極の世間知らずのため高齢者たちは「何々を知っているか」と確認して教えるのを楽しみにしていて、この地区ではやはり「拉致問題」が話題の中心になりました。
野僧は上山して間がなかったため拉致問題についても熟知していましたが、雲衲たちは半信半疑で「北朝鮮は労働者の理想の国でしょう」などと反論する馬鹿までいたのです。当然、高齢者たちは興奮気味に「地村さんが拉致被害者の会に入ってからは日教組の教員や市役所の組合員が家の周りに『拉致被害者の会は危険な反動分子の集団だ』『北朝鮮に冤罪を擦りつけるな』などと言う看板を立てていくんだ。後で見せてやるからウチに来い」と説明したのです。そしてお爺さんの1人が「自衛隊が救出に行けば良いんだ」と言ったのを聞いて若い雲衲の1人が「この人は元幹部自衛官です」と馬鹿な紹介をしたため野僧が質疑応答する羽目になりました。
福井県の日教組や自治労は社民党の支持母体=下部組織のため党中央から拉致被害者の会の活動を徹底的に妨害するように命ぜられており、小浜市役所が2002年に帰国を果たした保志さんを職員として採用したのも表向きは「保護と支援」でも実際は「本人と周囲の言動や接触者を監視し、拉致被害者の会としての活動に制約を加えるために自治労が提案した」と元関係者から聞きました。それは他の帰国したちに比べて保志さん夫妻が公的場所で発言することは極めて少なく、今回の訃報に際しても息子で喪主の保志さんではなく妻が市役所の広報を通して挨拶を公表していますから現在も社民党の妨害は継続しているようです。
社民党の女性党首2人は在日朝鮮人の血統なのであくまでも金王朝に忠誠を尽くすことが本分なのでしょう。保さんの苦悩に同情、憤怒に同調しつつ冥福を祈ります。合掌
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  1. 2020/07/17(金) 12:45:29|
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