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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

「こんな国家のために死ねるのか?」韓国の英雄への冒涜

7月10日に長年にわたり「朝鮮戦争の英雄」と称えられてきた白善燁大将が亡くなりましたが、その埋葬を巡って信じ難い(=許し難い)冒涜が加えられているようです。
白大将は1950年6月25日の北朝鮮の奇襲侵攻によって韓国軍が総崩れになり、首都・ソウルを捨てて敗走する中、第1師団長としてソウルの西側の臨津江に踏みとどまって防御戦を指揮し、退却時には味方によって漢江の橋が破壊されていたため渡河作戦を実施して水原に到着すると一転、侵攻してくる北朝鮮軍を迎撃して劣勢が続く韓国軍の中で孤軍奮闘の戦果を挙げました。特に北朝鮮軍と追いつ抜かれつで敗走している韓国軍に見切りをつけ始めたアメリカ陸軍の前で師団長として先頭に立って突撃を敢行し、信頼を一気に回復した武勲はアメリカでも尊敬を集めています。さらに1950年9月11日の仁川上陸作戦によって戦況は逆転すると連合軍と共に平壌付近にまで追撃しながら逆に北朝鮮軍を追い越して退路を断ち、平壌市域への一番乗りを果たしたのです。戦線が膠着した後も北朝鮮軍が残置した兵員に韓国内の協力者が加担したゲリラの掃討作戦や韓国全土での治安の維持を指揮し、これらの多大な軍功により1953年1月31日には32歳で韓国陸軍初の大将に昇任しています。
これほど祖国に貢献した英雄なら日本であれば軍神に祭り上げられ、国民の寄付で「白善燁神社」が創建されるのですが、現在の韓国では真逆の冒涜の声が上がり、文在寅政権も積極的に同調しました。白大将は日本の委任統治下の1920年に平壌の生まれで、急速に発展する満州国を間近に見ていて憧れが募り、師範学校を卒業しながら満州国軍の軍官学校に入り直して少尉に任官し(朴正熙大統領とは違い日本陸軍の士官学校には留学していない)、満州での匪賊掃討作戦に参加して中尉で終戦を迎えたため、金大中・盧武鉉政権以降に韓国内で蔓延した「日本の植民地支配に加担した親日派=売国奴」と決めつけられ、さらに現在では朝鮮戦争を「金日成主席がアメリカの手先・李承晩政権を廃して祖国を統一しようとした正義の戦争」とする民族主義史観が定着しつつあるため韓国軍側の英雄は「祖国の裏切り者」扱いされるようになっているのです。
このため李明博政権が高齢になった白大将の死後の対応として「名誉元帥」の称号を贈り、ソウル特別市銅雀区(愛知県田原市の姉妹都市)にある国立顕忠墓苑に埋葬することを決定していたにも関わらず、文在寅政権はこれを破棄して一般の戦没者と同じ韓国中央部の大田市にある大田顕忠墓苑に変更しました(=銅雀区の国立顕忠墓苑に埋葬されるには「反日」が必須条件らしい)。
日本では現地の連合軍による敗北の報復軍事裁判で処刑されたB・C級戦犯への同情論に便乗して国家を滅亡に引き込む大罪を犯したA級戦犯(人選に異論はあるが)まで軍神として靖国に合祀していますが、白大将は韓国国民の価値観が変転しても祖国防衛の英雄なのは間違いなく、幹部学校入校中に雑談を交わすようになっていた文在寅政権の鄭景斗国防部長官は青島幸男都知事が就任記者会見で自衛隊への冒涜しているニュースを見て野僧に「貴官はこんな国家のために死ねるのか?」と訊きましたが、同じ質問を返したくなります。
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  1. 2020/07/19(日) 12:22:42|
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