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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月28日・所詮は西ドイツ・ヴェッセル少将の命日

2002年の明日7月28日は東西ドイツの独立(実際は独立的自治化)、再軍備の前からアメリカ軍の対ソ連諜報機関としてラインハルト・ゲーレン少将が再構築していたナチス・ドイツ軍時代からの情報組織=連邦情報庁を日本以上に愚かな西ドイツの反戦・嫌軍世論に迎合して自縛的に変質させたゲルハルト・ヴェッセル少将の命日です。
敗戦後のドイツは中世以降、ヨーロッパ全土で行われていたユダヤ人弾圧をナチスだけの人道に対する罪であるかのように押しつけられたニュルンベルク裁判を受け入れ、持ち前の過剰に徹底・純化する国民性も相まって日本以上に反戦・嫌軍色が濃い国家になりました。このため西ドイツ連邦軍の立場は基本法(国際社会の憲法に相当する)を改定して創設されていても自衛隊以上に酷く、現在の統一ドイツはEUの中央になったため「軍による国防は不要」「安全保障は警察力の強化で十分」と言う認識の元、軍備はNATO軍の一員としての体裁を維持できる最小限にまで圧縮されています。
ヴェッセル少将は第1次世界大戦が始まる前年の1913年にドイツ最北部のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の牧師の子として生まれました。第1次世界大戦に敗れたドイツがどん底の政治・経済に喘いでいた中で成長するとアドルフ・ヒトラー政権が成立する前年の1932年に士官候補生として国防陸軍に入営し、歩兵と砲兵の教育を受けて砲兵の部隊経験を積み、1939年6月1日に第2次世界大戦が始まると歩兵に転じて1941年に陸軍大学を修了すると軍団参謀を経てゲーレン少将がいた陸軍総司令部東方外国軍科に配属されてソ連軍を担当することになりました。戦争末期になると精神的に追い詰められたヒトラー総統は不利な戦況を報告する情報担当者を嫌悪するようになり、ゲーレン少将も解任されたため代行者として終戦を迎えたのです。
敗戦後、ゲーレン少将が前述のヨーロッパにおけるアメリカ軍の情報機関を創設するのに勧誘されると分析を担当し、1955年に連邦軍が創設されると大佐として参謀本部の情報畑で勤務しました。1963年に少将に昇任すると機甲旅団長を経て北大西洋条約機構軍事委員会ドイツ代表になり、1968年にゲーレン少将が退役した後を受けて連邦情報庁長官に就任したのです。
就任後は東西冷戦の激化を受けて日本以上に現実逃避する西ドイツ国民の軍事分野に対する嫌悪感が増大したためヴィッセル長官は「可能な限りの活動内容を開示する」「担当業務を情報収集に限定する(工作活動は否定)」と言う情報を扱う者の常識から逸脱する方針を発表し、実行に移しました。しかし、軍事情報はギブ・アンド・テイクが原則でも渡した情報が開示されてしまっては渡した側に危険が及び、信頼関係は成立しなくなります。このためイギリスの防諜のMI5と諜報のMI6も可能な限り活動内容を内閣に報告していても、それを開示することはなく把握している情報の全体像が判らないように断片的に引用するだけです。その点、日本の諜報機関は存在そのものが否定されていて国民も架空の物語扱いしているため活動内容や収集情報の開示を求められることはなく保全は完璧です。実は自衛隊も国民の無関心・無知で助かっている面が多々あります。
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  1. 2020/07/26(日) 13:12:58|
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