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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月14日・ホワイトヘッドが人類初の動力飛行機の離陸に成功した?

1901年の明日8月14日にドイツからアメリカに移住していたグスターヴ・ホワイドヘッドさんが人類初の動力による飛行機の離陸に成功されたと言われています。この現場とされているコネチカット州では州議会がこの記録の認定を決議していますから、州の学校では1903年12月17日のライト兄弟ではなくホワイトヘッドさんを「人類初の動力飛行の成功者」として教えているのでしょう。ちなみに1903年8月13日にはドイツのカール・ヤトーさんも飛行に成功したと言われています。
ホワイトヘッドさんは1874年1月1日にドイツ南部のバイエルン州で生まれました。本名はグスタフ・アルビン・ヴァィスコラフ(=白髪頭の意)です。幼い頃から凧が好きで浮揚の原理を研究し、改良して実験しながら育ち、成長すると飛行船の整備士になったのです。1897年には同じドイツのリリエンタール兄弟の有人滑空実験の刺激を受けた雑誌社の経営者に滑空機=グライダーの製作を依頼され、鳥の飛翔や風、天候の研究を重ねた末に教えを受けたリリエンタール式1機を含む複数を完成させています。この滑空機は飛行、と言うよりも離陸に成功したもののホワイトヘッドさんが巨漢で体重が重かったため短距離に終わり、本人と周囲には不本意な結果だったようです。
翌1898年、新天地を求めてアメリカに渡りますが、姓のヴァィスコラフは英語の人々には発音し難く中々憶えてもらえないため、その直訳のホワイトヘッドを通称にしました。アメリカでは発動機=エンジンの製作・販売を本業としながら滑空機の製作と実験を続け、1901年8月14日にコネチカット州フェアフィールドの海岸で21番目になるエンジンを搭載した飛行機で高度15メートル、距離800メートルの飛行に成功したと言われています。この実験にはブリッジボード・ヘラルド紙、ニューヨーク・ヘラルド紙、ボストン・トランスクリプト誌の記者が立ち合っていましたが残念ながら写真は撮影しておらず、ブリッジボード・ヘラルド紙に記者が描いた詳細なスケッチが掲載された他は文章による記事だけでした。それは翌1902年1月に改良した22番目の機体でニューヨークからロングアイランド島まで10キロの飛行に成功した時も同様だったためアメリカの政府や自治体、関係団体は公式に認定しなかったのです。カール・ヤトーさんの実験成功も4人の立ち合い人による証言だけなのでドイツでもリリエンタール兄弟の名前の影に隠れています。逆にライト兄弟は立ち合い人の記者に写真撮影を依頼した可能性もありますが、当初は地方新聞に掲載されただけだったので売名手段だったのではないようです。
しかし、後世の復元機による比較ではホワイトヘッドさんの21番目の翼幅11メートル、竹の骨組みに絹布を貼った単葉機の方がライト兄弟のライトフライヤー号よりも飛行性能が優れていることが実証されていて、さらにライトフライヤー号に搭載していたエンジンはホワイトヘッドさんが製作したとする未確認の説もあります。その一方でホワイトヘッドさんはライト兄弟の飛行成功がアメリカ全土だけでなく世界中に報道されて脚光を浴びてからは飛行機の製作からは手を引いてエンジンの製造・販売に徹するようになりました。それでも1911年には回転翼を付けた飛行機を試作して有用性は実証したようです。
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  1. 2020/08/13(木) 12:49:35|
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