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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月17日・303高地の虐殺事件が発生した。

1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発して1ヶ月半が経過していた8月17日に韓国南東部の慶尚北道漆谷郡の洛東江を見下ろす303高地で捕虜になっていたアメリカ兵41名が北朝鮮軍兵士に虐殺される戦争犯罪が発生しました。
朝鮮戦争は北朝鮮軍がソ連から兵器・弾薬の供与や軍事顧問の派遣などの援助を受けて秘かに準備を整えていたのに対して韓国では日本統治の末期からソ連が潜入させていた共産主義者=親北朝鮮の工作員の暗躍に手を焼いていて国軍にする予定の南朝鮮国防警備隊は治安維持に専念させるしかありませんでした。このため開戦早々に首都・京城を奪取されると連戦連敗で後退を続け、韓国の防衛も兼務していた在日アメリカ軍は日本国内での朝鮮人・韓国人の抗争や凶悪事件の頻発と共産革命を標榜する労働運動の激化によってポツダム宣言で規定されている治安維持を放棄することはできず、やむなく在韓連合軍司令官は釜山周辺地域を橋頭堡として戦力を集中させて北朝鮮軍を喰い止め、本格反抗を待つ持久戦略を発動しました。この持久戦略は効果絶大で敗走してくる連合軍部隊と韓国の国防警備隊を吸収しながら北朝鮮軍を迎撃し、甚大な損害を与えたのです。
北朝鮮軍としては連合軍が本格反抗してくる前に釜山を陥落させればソ連を通じて国際社会に戦争の勝利を喧伝し、半島を統一できるため全力で攻撃を繰り返しましたが、第2次世界大戦を経験している連合軍側も態勢が整えば戦闘力に遜色はなく、つけ入る隙を与えませんでした。
そんな激戦の中、北朝鮮軍は8月5日から釜山地区橋頭堡の中央部で日本から派遣されたアメリカ第8軍が司令部を置いた大邱を奪取しようと攻撃を開始し、洛東江の北岸の韓国の国防警備隊と南岸のアメリカ陸軍の第5騎兵連隊を迂回する形で深夜に渡河したのです。8月15日になって303高地を守備していた第5騎兵連隊重迫撃砲小隊が戦車を含む200名程度の部隊が接近していることに気がついて連隊本部に通報すると「韓国の部隊が増援に向かっている」と回答されたため斜面を登ってくる朝鮮人を味方と思い込み、陣地の間近まで接近されて帽章の赤い星でようやく敵に包囲されていることに気がつきました。こうなると指揮官の中尉は合理的判断で降伏することを決め、全員(31から42名)が捕虜となりました。捕虜たちは武装解除の上、麓の果樹園に移動させられて逃走防止用に靴を奪われ、後ろ手に縛られて拘束されました。
ところが303高地は洛東江を確保する上での要地のためアメリカ軍は早急に奪還に動き、攻撃が開始されると北朝鮮軍は捕虜を渡河させて京城の捕虜収容所に移送しようとしましたがアメリカ軍の銃撃によって阻まれ、再び果樹園内に留め置かれました。その間、他の戦闘で捕虜になったアメリカ兵も加えられ、総数は67名になったとの証言もあります。
そうして8月16日になってアメリカ軍の戦車を含む部隊が303高地に接近すると北朝鮮軍は捕虜たちを岩場の谷間に押し込み、退却に際して監視係の下士官が捕虜の処分を命じると14名の兵士が短機関銃の乱射を始め、多くは後ろ手に縛られたまま射殺されたのです。ちなみに北朝鮮軍は7月28日付で「捕虜殺害厳禁」の命令を出していました。
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  1. 2020/08/17(月) 13:15:38|
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