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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ2016

年明け早々にスリラン最大の都市・コロンボに在る日本大使館では在外公館警備官の田島1尉宛てにオランダから封書が届いた。日本以外のアジア各国では官公庁や学校の公的行事は太陽暦のカレンダーに基づいていても市民は太陰暦で生活しているため年明けと言っても新年(=太陽暦の1月31日)まで1カ月を残す年末だ。
「モリヤ2佐かァ。多分、オランダにも年賀状がないんだな」防衛駐在官室に呼ばれたついでに顔を出した事務室で庶務係のスリランカ人の女性事務員から封書を手渡された田島1尉は差出人の横文字を読んで状況を推理した。スリランカではウェサック満月が欧米のクリスマスに相当する最大の祝週のため太陽暦の新年の挨拶を尊重する習慣がない。このためオランダのモリヤ家と同様に日本の友人たちが「海外郵便だから」と早めに投函した年賀状が年末に届いていた。おそらくこの封書も中身は年賀状ではないか。
コロンボの日本大使館は交通が激しく雑然とした表通りから1本奥の博物館などが建ち並ぶ閑静な裏通りに在る。世界各国の日本大使館の建物は味も素気もない鉄筋コンクリート製が大半だがスリランカに関しては植民地時代にイギリス人の富豪が建てた私的豪邸を1973年に購入したもので、スリランカ政府は「将来、日本が手放せば購入して国宝に指定したい」と希望している貴重な文化財なのだ。そんな大使館を守る警備官室は正門のコンクリート製の小さな門衛所に隣接した事務室と倉庫、武器庫を兼ねた1戸建てだ。
「2014年に入ったら早い時期にスリランカへ行きたいかァ。相変らず走って行くから走行生だな」中身は年賀状ではなく用件を記した書簡だった。モリヤ2佐は曹侯学生の後輩である田島1尉に「走って行くから走行生」と尻を叩いて仕事の後回しや先送りを許さなかった。昨年の5月のウェサック満月には坊主でもあるモリヤ2佐に「スリランカはモリヤ2佐の母国のようです」と書いたカードを送ったが「旅行に来い」と誘ったつもりはない。
「通訳兼個人秘書と2人で行くからホテルを手配してくれってか。『同室で可』と言うことは男の秘書だな」田島1尉は結婚して数年後のモリヤ夫婦の熱愛ぶりを熟知している。夫婦は前川原の同期だったそうだが、妻のモリヤ佳織1尉は駐屯地でも評判の美人で、3尉で着任した直後から若手幹部たちが一斉に攻撃を開始したものの全滅し、気がつけば未婚の母になっていたらしい。その相手がモリヤ1尉だったのだが不倫の略奪婚だったとも聞いている。その妻は今では1佐になり、陸上幕僚監部で勤務しているはずなのでこの推理は常識だ。
「それからスリランカは2011年に国連人権委員会で内戦における戦争犯罪行為の調査報告書が受理されているから国際刑事裁判所の検察が訴追することになる可能性が高い。しかし、この調査自体に疑問を持っているので現地と資料を確認したい。可能な限り関係する部隊と当事者に協力してもらえるように手配してくれ・・・かァ。随分と人使いが荒くなったな」あの頃のモリヤ1尉は教育者のような態度で田島2尉と松山3尉を指導し、時には仕事の山を掘り崩すことを強いたが、ここまで一方的な依頼はしなかった。その一方でスリランカ政府と陸軍では人権委員会の報告内容の不当性を抗弁しており、それが国際刑事裁判所に提訴されることは何としても阻止したいはずだ、その意味では恩を売る形にもなる。
「要するに旅行計画を立てて宿泊先を手配した上で内戦の関係部隊や当事者にも会えるようにしろっと言うことだな。ヒョッとして旅行の案内と運転手も俺の仕事か」依頼の流れから言えばそうなりかねない。スリランカは鉄道の発祥の国・イギリスの植民地だっただけに主要な都市を結ぶ鉄道網は整備されているが、環境保護の意識が世界で最も強いため高速道路は建設されていない。その鉄道も観光名所のシーギリア・ロックのように島の中央部のジャングル地帯には通っていない。それでも車両はイギリス式に左側通行のため日本人には運転しやすく、レンタカーでも不安はないからそちらを勧めたいものだ。
「しかし、公務じゃあないみたいだな。私的旅行のついでに戦場に入り、おまけに戦闘経験者と面談するなんて相変らず怖れ知らずと言うか、公私の区分がないと言うかつき合う秘書も大変だな」実は田島1尉も外務省の臨時職員である在外公館警備官としての任務の他に本来は認められていない防衛駐在官の手足としての副官的な業務も果たしている。今日も午後からスリランカ陸軍の駐屯地を表敬訪問するのに同行することになっているが、仮にモリヤ2佐が防衛駐在官になれば副官役は手綱を引いても止まらない牛(本人は丑年)にどこまでも引きずられていくような覚悟でいなければ務まらない。おまけに相手は坊主なので迂闊なことをすれば罰(ばち)が当たる。それでもモリヤ連隊長の下でなら1科長をやってみたい気もするが守山で「1佐どころか2佐の芽もない」と本人の口から聞いていた。そんな人物が2佐になる奇跡は起こったのだからもう1回、1佐の種はないのだろうか。
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  1. 2020/08/25(火) 12:43:01|
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