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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月29日・東京朝日新聞が「野球と其害毒」を連載した。

明治44(1911)年8月29日から9月22日まで東京朝日新聞(大阪朝日新聞と合併して朝日新聞になったのは昭和15=1940年)が当時、早慶戦を中心に大流行していた野球を徹底的に批判する「野球と其(その)害毒」22回の連載を開始しました。
実際、明治39(1906)年の早慶戦では1勝1敗で迎えた第3戦を前に早慶双方だけでなく審判をする予定だった学習院にまで脅迫が相次いだため中止となり、その後は渡米・招請して日米野球を開催するなど現在も続く大学の宣伝として野球を利用する悪習が始まっていました。選手も大学での好待遇と人気を維持するため留年を繰り返し、大学生と呼ぶには違和感がある年齢の選手が目立つようになり、「体育教育としての趣旨に反する」と言う批判が各方面で起り、野球を禁止する大学も続出していたのです。
これを受けて東京朝日新聞の特集連載は著名人の野球を批判する談話から始まり、最後は全国の蝶党学校の校長に対するアンケート結果の紹介と分析で締め括りましたが、「天下の朝日」の威光を受けて寄稿した著名人は驚くような顔ぶれでした。
例えば後の国際連盟事務次長、当時は第1高等学校校長だった旧5000円札の新渡戸稲造さんは「野球は悪く言えば巾着切りの遊戯である。常に対戦相手をペテンにかけよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえにアメリカ人には適するが、イギリスやドイツ人には決してできない賎技なり、剛勇の気なし」とヨーロッパ人の一般的認識を代弁しています。野僧はクリケットを愛好していましたが、投手は野球のように打者が「打ちにくい」球ではなく、中央に「打てない」剛速球を投げ込みます。この真っ向勝負が野球とは真逆でヨーロッパの騎士道に適うのでしょう。ちなみにクリケットの競技人口はサッカーの次、柔道の上の2位です。また日露戦争で軍人として無能であることが知られて明治天皇が適職として命じた学習院院長の乃木希典大将は「対外試合のごときは勝負に熱中したり、あまり長い時間を要するなど弊害を伴う」と疑問を呈していますが、乃木大将自身は学生・生徒に剣道を勧めていたので西洋式の球技には興味がなかったのでしょう。中でも日本式ドッジボールを考案し、徒手体操を普及させて体育教育を確立した永井道明東京師範学校教授は「野球は時間を空費し、身体を疲労衰弱させるので野球選手は学科ができない」「学生野球で入場料を取って観衆に見せるのは教育上問題があり、野球を利益手段とする大学は論外で学生が哀れである」と7回にわたり徹底的に批判しています。
しかし、野球人気を購読者拡大に利用して積極的に支援していた読売新聞や東京日日新聞(後の東京毎日新聞)が大々的に反論を展開したこともあって人気に水を差すことはできず、おまけに大正4(1915)年には大阪朝日新聞が全国中等学校優勝野球大会を開催したため、朝日の得意技「気がつけば始めから逆の意見を述べていたかのように論説を変更する」で現在も堂々と=偉そうに全国高等学校野球選手権大会=夏の甲子園を主催しています。
ちなみに読売新聞は昭和9(1934)年に、毎日新聞は昭和24(1949)年に、おまけで中日新聞は昭和11(1936)年にプロ野球の球団を創設しました。
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  1. 2020/08/29(土) 11:20:29|
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