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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ2025

ホテルのレストランでの夕食には田島1尉夫婦も同席した。このホテルはネクタイ着用を強制されるほど高級ではないがカジュアル過ぎるのは拙いようで田島1尉はサマージャケットを羽織っている。一方の私は迷彩服だが、軍人の戦闘服は「有事即応」「常在戦場」の覚悟の表現でもあるので自衛隊を嫌悪する特定の客におもねる日本のホテルでない限り拒否はされない。
「スリランカの夕食はカレー各種と野菜サラダの組み合わせが基本です」「スリランカにカレーはないだろう」田島1尉は私と梢、奥さんで列を作って料理を取り始めるといきなり間違った解説をした。香辛料のルーをかけた料理を「カレー」と呼んだのはそれをヨーロッパに持ち帰ったイギリス人で、南アジアや東南アジアでは香辛料の組み合わせで違う料理になる。これは那覇市内のカレー店巡りをしていて梢から聞いた話だ。
「相手がモリヤ2佐だってことを忘れていました」私に訂正されて苦笑した田島1尉の顔を見ながら奥さんが感心したように梢に話しかけた。
「主人から守山でモリヤ中隊長の英才教育を受けたから曹学(曹侯学生)出身でも大卒並みの知識が身についたって聞いていますけど本当ですね」「私もデートで話し合った知識が旅行社の仕事で役に立ちましたよ」「デートって何時の話ですか」「若い頃です」梢の返事に奥さんは困惑しながら私たち2人越しに田島1尉と顔を見合わせた。
「フィンガーボールをお持ちしますか」私は世界で一番辛いと言われるルー、梢は出発前から楽しみにしていたスリランカ産の鰹節のルーをかけたご飯とフルーツと野菜のサラダを取ってテーブルに戻るとウェイターが声をかけてきた。フィンガーボールとは料理を指で食べる時に注ぐ水を入れた容器だ。田島1尉夫婦は料理と一緒にスプーンとフォーク、ナイフを持ってきているが、私たちは「不慣れで忘れた」と思われたようだ。
「よろしく」私の返事に梢もうなずくと田島1尉夫婦は驚いたような顔をした。昔の海外旅行の失敗談にフィンガーボールの水を飲んでしまった日本人の話があったが、梢が旅行社で務めていたことは説明しているので「不慣れ」と思われないはずだ。
「カレーを手で食べるんですか」「指で熱さを感じると脳が期待して待つから美味しさが倍増するんだって、この人から教えられたんだ」私の説明に梢は少し照れたように、田島1尉夫婦は感心したようにうなずいた。やがてフィンガーボールが運ばれてきて食事が始まった。
翌日は朝から日本大使館で防衛駐在官の中川床1佐と面会した。梢は大使館の敷地内にある在外公館警備官の官舎で奥さんと待っている。
「在スリランカ大使館防衛駐在官の中川床1佐です」「国際刑事裁判所次席検察官のモリヤ2佐です」田島1尉からはタミル・イーラムの虎の拠点跡の視察や国連人権委員会の調査に関係した将兵との面会を実現するのに中川床1佐が積極的に協力してくれたことは聞いているので先ずは厳正に10度の敬礼をした。挨拶が終わればソファーに座っての面談になる。すると若い女性事務員がトレイに載せた血糖値が一気に上がりそうな甘いミルク・ティーを持ってきた。どうやら本場のスリランカ・ティーは茶葉の味を楽しむ訳ではないらしい。
「スリランカ陸軍としても陸上自衛官で佛教者でもあるモリヤ2佐なら内戦の実相を理解してキリスト教系人権活動家の一方的な事実誤認を糺してくれると期待しているようです」「私としてはそれ以前に人権委員会から起訴を要求された時に拒否するための反証資料を収集したいと考えています」私の返事に中川床1佐は田島1尉の顔を見てうなずいた。
「日程については田中1尉から伝えた通りです。本日24日はヌワラエリア泊で市内観光、25日はキャンディ泊で佛歯寺に参拜、26日はシーギリアに寄ってバブニア泊、27日に拠点跡を視察してからキャンディに移動、それで28日にコロンボに帰って関係者と面会。移動には4WDのレンタカーを手配しておきました」中川床1佐は口頭で説明した日程を一覧表にした紙を手渡した。ここで問題なのはバブニアのホテルに迎えにくるスリランカ政府軍との連絡だが、これは担当者の氏名が記してあるので「不具合は後で責任を追及できる」と言うことのようだ。
「ところでモリヤ佳織1佐は3月にフィリピンの駐在官で発令されるようですね」「そうですか。初耳ですが適任でしょう」ようやく猫舌が飲める程度に冷めた紅茶を口にすると一緒に飲んだ中川床1佐が思いがけない話を始め,また封印を一枚剥がしてしまった。私は佳織の個人情報は志織から聞くだけなので部内秘の人事情報にまでは及ばない。
「モリヤ1佐としてはヨーロッパを希望していたそうですが、2012年にアメリカ軍のフィリピン駐留が再開したため強固な人脈を持つモリヤ1佐を選んだようです」「モリヤ1佐なら今後活発化するアメリカ軍とフィリピン軍の対中戦略の情報も的確に収集するでしょう。健闘を期待します」出てくる言葉はやはり他人事だ。最早、気持ちが完全に離れてしまったのだろうか。
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  1. 2020/09/03(木) 14:08:29|
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