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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

ハウステンボスの神近義邦社長の逝去を悼む。

9月5日に千葉の東京ディズニーパークよりも広い面積を持つ日本最大のテーマパーク・ハウステンボスの創業者である神近義邦社長が亡くなったそうです。78歳でした。
野僧は春日基地で勤務している時、司令に随行した九州北部のエライさんの懇話会の宴席で神近社長に声をかけられて話をしたことがあります(自衛隊の制服は目立つため珍しいことではない)。ところが野僧はその時点でハウステンボスと長崎オランダ村に行ったことがなく、それを告白して詫びると神近社長は「やっぱり自衛隊さんは正直ですな」と苦笑しながら半生記とハウステンボスの創業秘話の聞かせてくれました。
神近社長は昭和17(1942)年に長崎県西彼(せいひ)町=現在の西海(さいかい)市で生まれ、昭和37(1962)年に農業高校を卒業すると西彼町役場に就職したそうです。役場では農業指導で実績を上げ、昭和46(1971)年から翌年まで長崎県庁に出向した後、昭和48(1973)年に退職して西彼町の自然休養村事業の事務局長に就任しました。そこで東京永田町の料亭の町内の土地買収に協力しましたが、料亭が経営破綻して代金が未払いになったため専務取締役として経営再建に辣腕を奮ったのです。そうして料亭の女将の娘婿が創業した企業に幹部として迎えられ、不動産部長としてのヨーロッパ視察旅行中に故郷の大村湾沿いに外国の都市を模したテーマ・パークを建設する着想を得たのでした。帰国後は昭和55(1980)年に自分の観光果樹園を発展させた動物園の長崎バイオパーク、さらに昭和58(1963)年には近くの国道202号線沿いに食料品店を拡充した長崎オランダ村を開園しました。ところが長崎オランダ村はバブル景気で浮かれた九州の企業が続々と参入したことで規模が想定外に大きくなり、巧妙なイベント企画と印象的なテレビのCMも相まって九州の人気観光地になったため長崎市への主要幹線である国道202号線の大渋滞が問題になって移転を検討しなければならなくなったのです。そこに長崎県が巨額を投じて造成したものの企業の誘致に失敗していた佐世保市の工業団地を売り込み、ハウステンボスが建設されることになりました。
神近社長は長崎オランダ村の出来栄えには不満を抱いており、ハウステンボスでは徹底的に本物の再現を追求したそうです。例えば煉瓦は全てオランダから輸入したものの日本人の職人では完璧な仕事をし過ぎるためオランダの職人を招いて積ませた結果、煉瓦の色の不揃いや微妙なずれ、継ぎ目からはみ出したコンクリートなどがかえって真実味=生活臭を表現できたそうです。しかし、ここで野僧が手渡されたパンフレットを見ながら「残念ながらハウステンボスはオランダにはない山が見えるみたいですね」と余計な指摘したため気分を害されたらしく話が終わってしまいました。それでも後年、ハウステンボスに行くと神近社長の徹底的なこだわりを実感できました。
残念ながらハウステンボスは開園直前にバブル景気が崩壊したため神近社長のこだわりが建設費=借金の増大となり、その返済のために分譲した別荘が売れず、一過性の人気で客足が遠のき、神近社長は2000年に引責辞任しました。それにしても農業高校卒、元役場の職員=地方公務員とは思えない実力派の経営者でした。ご冥福を祈ります。合掌
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  1. 2020/09/08(火) 12:24:54|
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