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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ2032(一部、事実です)

キャンディからコロンボはヌワラエリアのような山道ではないので比較的早く、昼過ぎには到着した。ただし、途中にあったイスラム教徒の集落のモスクで礼拝したので30分は余計にかかっている。それでも北部の集落で内戦の犠牲になった住民の慰霊法要を勤めただけに自分の手で殺めた3人の供養ができて安堵した。
「モリヤ2佐の北部での活動は昨日の間にコロンボの国防省陸軍部にも報告が入ったらしく、明日の午前中に予定していた関係者との面会を今日の午後に早めて欲しいと申し入れがあったんだ」防衛駐在官室で中川床1佐と田島1尉に面談すると意外な話になっていた。理由としては明日では私が空港に向かうまでに限定されてしまうため時間的制約を受けない今日にすると言うことらしい。つまり私に対する信頼を獲得できたことになる。
私と梢は昼食をすましていたので迷彩服のまま防衛駐在官の専用車両でコロンボ市郊外にある陸軍の駐屯地に向かった。梢は田島1尉の宿舎で待っていることになった。
「モリヤ2佐が佛教の僧侶だとは驚きました」防衛駐在官と一緒なので私も客として駐屯地司令の大佐と面会することになったが、いきなり驚かれて少し困惑した。
「佛戒では僧侶が収入を得る職業を持つことを認めていませんが、日本の佛教では職業も菩提心を以って勤めれば修行となると考えていますから私のような坊主も存在するんです」「いや、法要に立ち合った将兵たちはモリヤ2佐の読経で犠牲者の霊が西に向かって飛び去ったのが判ったと感激していましたから本物なのでしょう」駐屯地司令の過分な賞賛は私も犠牲者の魂魄が往生したことを確認しているので有り難く受けることにした。
駐屯地内の会議室で国際連合人権委員会の調査を受けた内戦の参加者と面談した。英語とシンハラ語、タミル語の通訳の中尉を交えて少佐と少尉、曹長と軍曹、そして上等兵の参加者5名だが、少尉と軍曹は片足が義足で、曹長は顔の半分に火傷の跡、片目には眼帯をはめている。
「人権委員会の調査は自分たちの勝手な思い込みを我々に認めさせるための一方的な糾弾に過ぎませんでした」少佐が参加者を紹介して発言を促すと曹長が怒りを露わにしながら批判を述べた。国際刑事裁判所が国際連合人権委員会の下部組織と思っているのなら、少しは話が判りそうな軍人の関係者=私に不満をぶつけてきても不思議はない。
「曹長はタミル・イーラムの虎がトラックで逃亡する時にナパーム剤を充填して手榴弾で発火させるドラム缶を荷台から投下したためジープで追跡していて負傷しました。ところがヨーロッパ人の調査委員は我が軍の攻撃時に負った火傷だと断定して認めませんでした」「火炎放射器を使ったと決めつけました」少尉の補足説明に軍曹がさらに補足した。少佐は参加者が問題発言をしないかに気を配っているようで聞き役に回っているが、これは事実のようで口を挟まない。
「調査員たちは全人口の20パーセントを占めるタミル人を少数民族と決めつけて、シンハラ人の政府が迫害していると言う構図を勝手に作っていました」しばらく少尉、曹長、軍曹がタミル・イーラムの虎の対人地雷の使用を含む違法な戦闘手段によって負傷した経緯を説明しても調査員たちが認めなかったことへの批判が続いた後、少尉が士官らしく本質を語った。
「それでもタミル・イーラムの虎の新タミル人は少数派じゃあないのか」これは私の検察官としての職務上の反論であって否定や皮肉ではない。
「自分は古タミル人ですが、両親から聞いた話ではイギリスに強制移住させられた新タミル人はインドでは生活できない貧困層が中心だったそうです。だから独立しても帰国せずにイーラムに残ったんです」私の疑問には上等兵がタミル人と告白した上で回答した。上等兵は英語で話しながらもタミル語で「イーラム」と言ったので、通訳が「スリランカのことです」と説明した。
「政府軍がタミル・イーラムの虎の拠点になっている集落を攻撃した時、女性を強姦しながら殺し、老人や子供まで皆殺しにしたことになっているが」これも検察官としての挑発的な質問だが、今度は少佐まで反応して階級順に回答し始めた。
「我が軍はスペインのマレー人傭兵部隊が起源と言うことになっていますが、実際はイギリス人によって創設されました。ご存知のようにイギリス軍の軍規は極めて厳正で、それは兵士に対しても徹底しています。だから住民を虐殺するようなことは有り得ません」「我々はタミル・イーラムの虎によって人質にされているスリランカ国民を救出するために現地に入ったのです」「北部を制圧する頃にはヨーロッパのジャーナリストが同行するようになって悲惨な写真を事実に反する記事をつけて流布しました」「私たちが踏んだ対人地雷で住民も犠牲になっています。その遺骸は現場に放置されていました」「対人地雷は1999年に禁止されたはずです」上等兵の口から1999年に発効した対人地雷禁止条約=オタワ条約が出てきたことで兵士に対する教育の徹底まで確認できた。時間無制限にした成果はあったようだ。
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  1. 2020/09/10(木) 11:21:52|
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