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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月12日・ドイツ最終規定条約が調印された。

1990年の明日9月12日に日本のサンフランシスコ講和条約に相当するドイツ最終規定条約が東西ドイツとアメリカ、ソ連、イギリス、フランスの旧連合国によって調印されました。ただし、ドイツ政府は講和条約とは認めていません。
この条約は日本のサンフランシスコ講和条約が昭和26(1951)年9月8日に署名、昭和27(1952)年4月28日発効なのに比べると約40年遅れていて、その間もヨーロッパ最大の工業国としてサミットに出席していた西ドイツ=ドイツ連邦共和国が第2次世界大戦の降伏のまま被占領国であったと言うことが信じられません。
日本の第2次世界大戦は東南アジア方面でイギリス(ついでにオランダも一捻りした)、太平洋方面でアメリカ、そして中国大陸で武力衝突していた国民党軍にも宣戦布告したことでこの3国との戦争になり、昭和16(1941)年4月14日に日ソ不可侵条約を結んでいたソ連とは日独伊三国同盟を結んでいたナチス・ドイツが同年6月22日に侵攻しても不介入としていたためこの3正面以外に拡大することはありませんでした。さらに昭和20(1945)年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満州、樺太、千島に侵攻を開始した時には満州の関東軍は同年7月1日に参謀本部から赴任していた瀬島龍三中佐から敗戦が迫っていることを聞いて戦意を喪失していたため抵抗もせずに敗走しましたが、樺太と千島では第2次世界大戦では最高の名将・樋口季一郎中将が第5方面軍司令官として頑強な抵抗を指揮してソ連に北海道の土を踏ませることを阻止したのです。
一方、ナチス・ドイツは独ソ戦の逆襲としてソ連が東から、ノルマンディー上陸作戦の延長でイギリスとアメリカ(お飾りでフランスも)が西から首都・ベルリンに迫り、5月8日に降伏しました。このため国土と首都・ベルリンは敗戦と同時にソ連とイギリス、アメリカの占領地域に分断され、冷戦の発生・激化によって東西両陣営にとってはドイツが一触即発の最前線になったのです。
そして日本のサンフランシスコ講和条約でも左翼政党や大手マスコミはソ連や共産党が政権を奪取して間もない中国を含めた「全面講和」を要求し、アメリカと吉田茂内閣が主導する国際連合加盟国の過半数である49カ国との条約締結を「単独講和」として批判しましたが、ドイツでは双方が直接対峙する紛争予定地域だったため講和を持ち出すことさえできませんでした。こうして分断された国家が東西冷戦の表舞台になったまま40年が経過した頃、ソ連の内部崩壊が露呈して急速に緊張緩和が進み、1990年8月31日に東西ドイツの間でドイツ再統一条約が調印されたのです。
これを受けてアメリカ、イギリス、フランスとソ連の4カ国は独立した国家となるドイツとの関係を確定する必要性が生じ、東西ドイツとの2プラス4の協議を繰り返し、合意に至ったのがこのドイツ最終規定条約でした。この条約によってドイツは東西が保有していた軍備を大幅に削減し、敗戦時の最小の領土に同意させられ、同時に東西の連合国はドイツ国内で保持していた特別な権限を放棄して旧西ドイツの国家体制を基本とする自由主義の独立国になりました。今ではEUの盟主でもあります。
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  1. 2020/09/11(金) 12:16:21|
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