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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月7日・戦艦・大和が撃沈された。

1945(昭和20)年の明日4月7日、戦艦・大和が撃沈され、実質的に大日本帝国海軍連合艦隊は壊滅しました。
その模様は大和に乗艦していた吉田満氏が著した「戦艦大和ノ最期」に詳しく、野僧は矢作(やはぎ)南小学校6年の時に読み、一緒に軽巡洋艦「矢矧(やはぎ)」も撃沈されたこと知りショックを受けました。その後、「この記述内容には噂レベルの伝聞情報もかなりあり、全てを信じることはできない」と海軍軍人だった方から注意を受けました。
映画「男たちの大和」ではそれがリアルに描かれていましたが、日本の戦争映画は「反戦」「旧軍断罪」が制作目的なので、こちらの方が更に信ずるに足らないでしょう。
大和の出撃は昭和天皇から「海軍にはもう艦はないのか」と下問を受けた大本営海軍部、連合艦隊が「大和に死に花を咲かせよう」としたと言われていますが、そのような面子、感傷で殺されたのでは将兵は堪ったものではありません。
また一説では大和を沖縄本島に座礁させて浮き砲台にして、艦砲射撃で米軍を殲滅しようとしたとも言われていますが、それは「不沈」であれば出来ることで、すでに同型艦の「武蔵」、空母に改装した「信濃」は撃沈されていたのですから不沈戦艦伝説は消滅しており、やはり沈めることが目的だったと思わざるを得ません。
一方、迎え撃ったアメリカ側も第5艦隊司令官・スプールアンス提督は、世界最大、最強と言われていた大和を艦隊決戦の砲撃戦で撃沈しようとしたそうで、実際、ミズーリなどの戦艦、巡洋艦に待機を命じていました(スプールアンス提督は大和に乗艦していた司令官・伊藤整一中将とは旧知の仲でした)。
ただ、大和の艦隊が目的地を佐世保や日本海側であるかのように偽装して西に進路を変えたため、艦艇では追い付けないと判断され、ミッチャー提督の空母艦載機部隊によって撃沈されました。
宇宙戦艦ヤマトでは戦艦・大和はそのままの姿で海底に鎮座していますが、実際には弾薬が爆発してキール(艦舷)が折れ、3つ以上に分かれ、ひっくり返って沈んだようです。
また宇宙戦艦ヤマトの主人公・古代進の兄・守は「雪風」の艦長ですが、実際の駆逐艦・雪風はこの作戦に加わり、撃沈後には乗員の救助を行い、戦後は台湾海軍に譲渡されて旗艦になっています。
若し、大和が敗戦まで生き残っていれば徹底的に研究された後、戦艦・長門のようにビキニ環礁での原爆の実験に使用されたかも知れません。ただ、戦艦・長門は米・独の標的艦が昭和21年7月1日の空中投下された原爆の爆風と高熱で大破・沈没したのに対して独り浮き続け、25日の水中爆発でも沈まず、30日の朝になって浮いていないのが発見されました。まさに日本海軍の技術力を世界に示した最期でした。
ところで出撃前、三田尻沖(現在の山口県防府市)に停泊していたのを見た人はおらんかいのう(いませんかね)?
  1. 2013/04/06(土) 08:53:32|
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