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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月16日・マッターホルン初登頂者・ウィンパーの命日

1911年の9月16日はアルプスでも屈指の難度を誇るマッターホルンの初登頂に成功したイギリスの登山家で木版画家と文筆家のエドワード・ウィンパーさんの命日です。
ウィンパーさんは1840年にロンドンの画家の11人兄弟姉妹の2男として生まれましたが父はウィンパーさんを後継者にしました。1860年にイギリス山岳会の依頼を受けてアルプスの風景を描くようになると自身も登山を始め、次々に名峰を踏破しました。そうして1865年に霊峰として畏敬の対象となっていて誰も登ろうとしなかったマッターホルンにウィンパーさん(25歳)とチャールズ・ハドソンさん(牧師・37歳)、フランシス・ダグラス卿(スコットランド貴族・18歳)、ダグラス・ロバート・ハドゥさん(19歳の初心者)のイギリス人4人が挑戦することになったのです。
マッターホルンは標高4478メートルのプラミッド型の山体を持つ完全な独立峰で東壁の落差が1000メートル、北壁が1200メートル、南壁が1350メートル、西壁は1400メートルです。ドイツ語の草地を意味する「マット」と山頂の「ホルン」を組み合わせた名称で、イタリア語とフランス語では鹿の角の「チェルヴィーン」「セルヴァン」と呼んでスイスを構成する各民族とも神聖視していたため、そこにイギリス人が無遠慮に踏み込むことには民族感情が入り混じった反発が起こったようです。
それでも現地ガイドのタウクヴァルターさん(45歳)と同名の長男(22歳)、高名な山岳ガイドのミシェル・クロさん(35歳)を先導として麓まで荷物運搬を手伝ったタウクヴァルターさんの二男・ジョセフを加えた8人でスイス側の麓の街・シェルマットの延長線上の東壁と北壁の境界線で途中に足がかりとなる段があるヘルンリ尾根から挑戦して7月14日に登攀に成功しました。ところが下山時、ウィンパーさんが本業のスケッチをしている間に命綱で身体を結んだメンバーはクロさん、バドゥさん、ハドソン牧師、ダグラス卿の順番で出発していまい、タウクヴァルター父、ウィンパーさん、タウクヴァルター長男が後を負う形になってしまいました。すると難所である窪地に差しかかったクロさんがピッケルを岩場に置いて命綱を引き寄せようとした時、初心者のハドゥさんが滑落してクロさんとハドソン牧師を巻き込み、支えようとしたダグラス卿も一緒に1000メートル落下していったのです。
命綱がハドソン卿とタウクヴァルター父の間で切れたため後続の3人は助かりましたが、「ハドソン卿が3人を救うために切った」「タウクヴァルター父が3人を守るために切った」と言う推測と疑惑が議論されることになりました(後年、回収された命綱が軽く弱い予備のロープだったため「衝撃に耐えられなかった」と言う結論になっています)。
帰国後、ウィンパーさんは唯一生き残ったイギリス人として一方的に糾弾されることになりましたが、その弁明として著した「アルプス登攀記」の名文と自作の挿絵が大きな感動を呼び、逆に名声を獲得しました。その後は地質学や生態学、地理測量を習得し、グリーランド探検やアンデス山脈、ロッキー山脈に登った体験の著書を出版しました。この日はモンブランへの登山旅行中に麓の旅館での急逝でした。71歳でした。
マッターホルン手前の稜線がヘルンリ尾根
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  1. 2020/09/16(水) 13:01:35|
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