fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月14日・南米ペルーの偉人・天野芳太郎の命日

昭和57(1982)年の明日10月14日は日本では無名でも南米の実業家として成功しただけでなくベルー人でさえ認めていなかったチャンカイ文化に着目して自費で史跡を発掘する一方で遺物を蒐集して専門の博物館を開設したため現在でも「チャンカイは天野」と賞賛されて尊敬を集めている天野芳太郎さんの命日です。84歳でした。
野僧は防府南基地・第1教育群での不当人事の犠牲にならなければ次は在チリ日本大使館の在外公館警備官として赴任する予定だったので南アメリカの研究に励み、その中で天野さんの名前と業績を知りました(後に親しくなったペルー人の友人からも聞いた)。
天野さんは明治31(1898)年に現在の秋田県男鹿市で生まれました。大正5(1916)年に秋田工業学校の機械科を卒業すると現在の横浜市鶴見区で庭園を造成していた父を頼って横浜市の造船所に就職して大正9(1920)年には鋳物会社を創業し、さらに自ら考案した小型ポンプの販売会社も始めました。そんな順調なスタートを切っていた大正12(1923)年に関東大震災が発生して事業は頓挫しましたが、父が造成した遊園地で妹に饅頭店を出させて大儲けしたのです。
そうして資金を貯めると少年時代から冒険小説を愛読して描いていた海外雄飛の夢を実現するべく昭和3(1923)年にウルグアイを目指して商船で横浜港を出発しました。天野さんは航海中も寄港地で仕入れた物品を売る商売を営み、3ケ月の航海で目的地に到着すると父の訃報が届いていてそのまま引き返すことになりましたが、年末には目的地をベネズエラに変更して再度出発し、パナマに到着するとベネズエラでは内戦が勃発していたためそのままパナマで会社を創業してチリで農場、コスタリカでマグロ漁、エクアドルで製薬会社、ペルーで金融業を経営するようになりました。
ところが成功すると巨大な妨害が入るのが宿命のようで昭和16(1941)年に日米が開戦したためパナマの会社と財産はアメリカに没収され、スパイ容疑でアメリカ国内の収容所に収監されました。翌年に在留敵国人交換で帰国したものの昭和26(1951)年8月には再び南米を目指して出発し、1度目は遭難して九死に一生を得ると9月にカナダ経由でパナマに到着したのです。パナマでは知人に預けていた資産を元手に事業を再起させますが、偶然訪れたペルーのチャンカイ川流域の集落で大量の土器と織物を発見し、そこに東洋の美意識が反応して遺跡の発掘と遺物の蒐集と研究を開始しました。その結果、この文化がキリスト教暦1000年から1400年に極めて狭い地域の小さな集落で中南アメリカの古代文明とは異なる独自の発展を遂げていることが明らかになり(最終的にインカ帝国に埋没したが)、ようやくペルーの古代史学会が興味を示した頃には天野さんの個人的研究が多大な成果を上げ、1954年には首都・リマに天野博物館(現在の天野プレコロンビア織物博物館)の前身となる展示場を開設していたのです。現在も天野博物館はペルーの遺跡発掘で卓越した指導力を発揮しているそうです。
天野さんが南アフリカで成功する理由を周囲の人たちは「全く見下したところがないから人が集まってくる。人が集まれば物と情報も集まり商売になる」と評していました。
  1. 2020/10/13(火) 12:48:05|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ2066 | ホーム | 振り向けばイエスタディ2065>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/6454-44714d48
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)