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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月17日・靖国がA級戦犯を合祀した。

昭和53(1978)年の明日10月17日に個人の信仰や遺族の意思を無視して戦死者の魂魄に軍隊生活を強要している国家神道=日本版ナチズムの中核施設・靖国に国家滅亡の元凶・A級戦犯が合祀されました。
この日、「昭和殉難者」の名目で合祀されたA級戦犯は開戦時の首相だった東條英機大将=刑死、2・26事件直後に就任しながら陸軍の恫喝と居直りを黙認した広田弘毅首相=刑死、奉天特務機関長として満州国の建国を画策した土肥原賢二大将=刑死、支那派遣軍総参謀長として満州事変の拡大を指導した板垣征四郎大将=刑死(軍司令官の西尾寿造大将は不起訴・釈放)、ビルマ方面軍司令官として東南アジアの戦争を指揮した木村兵太郎大将=刑死、南京占領時の中支那方面軍司令官だった松井石根大将(B級戦犯)=刑死、陸軍省軍務局長ほかの経歴で中国での戦闘に深くかかわった武藤章中将=刑死と終身刑の判決を受けて獄中死した平沼騏一郎首相、白鳥敏夫イタリア大使、東條大将退陣後の首相だった小磯国昭大将、陸軍参謀総長として戦艦・ミズーリで降伏文書に署名した梅津美治郎大将、禁固20年の判決で獄中死した東郷茂徳外務大臣、逮捕されたものの起訴前に収監死した海軍軍令部長の永野修身元帥と日本の外交を大きく誤らせた元凶の松岡洋祐外務大臣(出身地の山口県では偉人)で、アジアの占領地での軍事裁判で死刑判決を受けて執行されるか獄中死したB・C級戦犯約1000名も同時に同じ名目で合祀されました。
この合祀を知られた昭和の陛下が当時の富田朝彦宮内庁長官に「私はある時にA級戦犯が合祀された上、松岡や白鳥までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」と語られたことは昭和63(1988)年に発見された富田長官の手帳に貼りつけてあったメモで明らかになっています。このうち「筑波」は厚生省からA級戦犯の祭神名簿を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿5代宮司、「松平」は福井藩主・松平春嶽さんの3男で最後の宮内大臣と初代宮内庁長官を務めた松平慶民さん、そして「松平の子の今の宮司」は海軍機関学校卒の元少佐で元1等陸佐の松平永芳6代宮司を指しています。
松平宮司は自衛隊時代から時代錯誤な言動で無能ぶりを発揮していましたが、大病を患って退役すると右翼の言論人になっていた石田和外元最高裁判所長官の後押しで宮司に就任し、「東京裁判は国際法では認められていない。その判決で死亡した被告は靖国神社に祀って然るべきだ」との教えを受け、「東京裁判を否定しなければ日本の精神復興はできない」「合祀しなければ靖国神社が祭神の人物評価をしていることになる」と筑波前宮司の判断に賛同していた神職や職員を説き伏せて合祀を強行したのです。
しかし、戦争の勝敗は別にしても国際情勢を見誤り、組織としての面子と野心で勝算のない戦争を始め、支那事変から敗戦までに310万人(昭和38年の閣議決定)の国民を犠牲にして、全国の都市を空襲や艦砲射撃によって焦土化したA級戦犯の大罪は東京裁判でなくても処断されなければならず、英霊=軍神とすることが許されるはずがありません。
  1. 2020/10/16(金) 12:12:42|
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