fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ2076

佳織は大使から直接の指示を受けて3泊4日の日程でフィリピンの南半分を構成するミンダナオ島の都市・ナバオに出張した。ナバオは人口ではマニラ、セブに次いで3位だが面積は世界有数の広さで、ルソン島に多いマレー系のフィリピン人とは異なる民族の支配地域だったこともあり、歴史や文化、さらに政治的にも半ば独立国のような扱いになっている。
「モリヤ駐在官に宿泊を伴う視察をお願いして申し訳ないのですが、現実を理解していただかないと困ったことになりますから」フィリピンの国内線に乗り込む通路で同行している山本警部が遠回しに説明した。大使からも具体的な説明がなかったが、現地での迷彩服と半長靴の着用と赴任する時に陸上幕僚監部で渡された鉄帽と防弾チョッキの携行を指示されたことから危険を伴う視察なのは想像している。それでも護身用の武器を持たせないところは外務省だ。
「今日、面会するズテルデ市長は次回2016年の大統領選挙に出馬すると言う噂があります」「だから1種夏服なのね。そう言う重要な情報は前もって教えてくれないと下調べできないじゃない」「それは外務省の落ち度です」佳織の苦情を山本警部は巧みに回避した。外務官僚=外交官は人脈を使って仕事をするためそれが習い性になっていて、組織内の主従関係と業務の指導を受けた師弟関係が他の省庁以上に強く、上司の命令や指示を過剰に徹底する傾向がある。今回も大使が「内密に」と言ったため必要な情報まで秘匿したのかも知れない。
「それではモリヤ駐在官はファースト・クラス、私はビジネス・クラスなので機内では別行動になります」「はい、ナバオで会いましょう」フィリピンの国内線の小型ジェット機ではファースト、ビジネス、エコノミーにクラス分けしても乗り心地に大差はないのだが、それでも座席の位置や幅などで料金を割り増している。それを役職に反映するところが外務省だ。
「市長、こちらは在フィリピン日本大使館の駐在武官のモリヤ佳織大佐です。モリヤ大佐、こちらがロドリゴ・ロァ・ズテルデ・ナバオ市長です」市が差し向けた公用車で市役所と言うよりも地方政府の庁舎に案内され、近い将来には大統領になるかも知れないズテルデ市長と面会した。市長の秘書の案内で握手を交わすとズテルデ市長は顔を近づけて頬を寄せてきた。ズテルデ市長の身長は165センチの佳織と大差ないので横顔の全面が密着してしまった。
「日本軍の駐在武官がこれほど麗しい日本女性とは驚きました。おかげで握手する儀礼が役得になりましたよ。残念ながらハグは辞退しましたが」小さな奥目が人懐こい笑顔を造った。どうやら頬を寄せたのは肩を抱き合うハグを遠慮した形だったらしい。間近で見るとレイテ島出身のズテルデ市長は一般的なフィリピン人とは明らかに異なる風貌で、ゴツゴツした土台の真ん中に大きな鼻を据え、その両脇に小さい奥目を配している。最近は日本でもマスコミに登場することが増えた大都市の市長などの地方自治体の長とは別格の存在感がある。
「フィリピンはアメリカの植民地だった関係で日本を敵視する歴史を捏造していますが、日本人が密林を開拓して農園を作り、地元民に農業を教えたのです。現在のナバオの繁栄の基礎を作ったのは日本の先人たちです」「市長は私費で日本軍のカミカゼの基地だったミンタル墓地に日本とフィリピンの友好を祈念する記念碑を建立しています」市長の秘書は日本的な気配りを見せる。日本でも側近のこのような態度は上司が専制君主=暴君であることが多いが、ズテルデ市長から受けるのは圧倒的な存在感しかない。
「市長、我が自衛隊の隊員の練度向上にご協力いただいていることに心から感謝申し上げます」続く佳織の挨拶にズテルデ市長の小さな奥目が鋭く光った。佳織は庁舎に到着するまでに山本警部から警察の対テロ特殊部隊の隊員が秘密裏にナバオ市の麻薬撲滅組織=ナバオ・デス・スクワッドに参加して実際に密売人などを殺害する経験を積んでいて、自衛隊も2013年1月16日に発生したアルジェリアの天然ガス施設で日本人が人質になった事件でソマリアに派遣されている陸上自衛隊を関係各国の特殊部隊との協同作戦に参加させようとした(防衛省内局の反対で実現しなかった)ことを受けて数名の隊員が派遣されているとの説明を受けていた。一方、警察は2007年5月17日に愛知県長久手市で対テロ特殊部隊の隊員が犯人に射殺された事件を切っ掛けに超法規的訓練を模索したと言うことだ。
「私は祖父から日本軍の勇猛さや規律の厳格さについて聞いてきました。現在の日本軍もその伝統を継承しているようで、市民の激情に駆られた暴走を制御してくれていることにこちらから感謝します」市長の秘書の隣りに座っている山本警部は警察官に対する評価がないことに一瞬不満の表情を浮かべたがすぐに無表情を作り直した。佳織は自衛隊内に対テロの特殊部隊が存在することも知らず、隊員が海外で実戦経験としての殺人を行っているとは考えたこともなかった。確かに外国軍では実戦=殺人を経験した兵士がいなくなることを避ける目的で定期的に国際紛争への介入を繰り返しているが、自衛隊では夫が唯一の実戦経験者だと思っていた。
  1. 2020/10/24(土) 12:40:27|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ2077 | ホーム | 振り向けばイエスタディ2075(一部、実話です)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/6477-fc92d04f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)