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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月1日・泡盛の日

11月1日は1989年に沖縄県酒造組合連合会が制定した「泡盛の日」です。
野僧は就職家出として航空自衛隊に入隊しながら浜松南基地の第1術科学校に入校したため毎週のように実家に帰らされる羽目になり、そこで最も遠い任地として那覇基地=沖縄を希望して(千歳基地は最新鋭のFー15Jの配備が始まっていたため学生長たちが揃って希望した)、そこで洋酒と一緒に出会ったのがオリオン・ビールと泡盛でした。
野僧は高校時代、かくれて煙草を吸う同級生たちから「お前も吸え」と言われると「俺は酒を飲んどる」と反論した通りに寝酒を飲んでいて(父親はビールしか飲まないため正月用の日本酒が残っていた)、大学に入学した頃にはコンパや部の宴会で新入生を酔い潰そうと酒を強要されても相手が先に潰れるほどの酒豪になっていました。そのおかげで沖縄では安く飲める免税品の洋酒と泡盛の飲み比べに励むようになり、やがて亡き妻と一緒に通っていた沖縄料理の店で飲む泡盛に魅せられて、こちらが研究テーマになったのです。
地元に人たち(シマンチュウ=島の衆)は泡盛を「島酒(シマサキ)」と呼んでいて泡盛は少し改まった正式名称のような感じでした。実際、昭和47(1972)年の本土復帰後は国税庁が沖縄の蒸留酒を焼酎乙類に指定したため「泡盛」は商品名に類する通称になり、野僧が赴任した翌年の昭和58(1983)年になってようやく「大蔵省令で定める酒類」の特例的な名称として表示が認められたので多少は反発と遠慮があったのかも知れません。
その後、沖縄料理の店で郷土史研究家の高校の教員と親しくなり沖縄の歴史に詳しくなったのですが、泡盛の名称には「泡盛を蒸留する時、細かい気泡の盛り上がり方でアルコール濃度を判断していたことから泡を盛るで泡盛になった」と「昔は現在のようなタイ米ではなく粟で醸造していたため酒の古語である『モリ』との組み合わせで『粟酒=アワモリ』になった」と言う2つの発祥が唱えられていているとのことでした。
野僧は瓶踊りのCMで有名だった糸満市の「まさひろ」や久米島の「久米仙」、名護市の「龍泉(首里の竜泉とは別)」などの酒造を見学したことがありますが、実際に飲み比べたところでは南の島になるほど美味しく、最高は沖縄最南端・波照間島の「泡波」だと確信しています。これには好みがありますが本島出身のシマンチュウたちも石垣島の「宮の鶴」や「八重泉」などを推す者が多く、極端に地元意識が強い宮古島の人たちが言い張る「菊乃露」や「多良川」を含めても先島、八重山産になります。その理由としては水質や製法の差異もありますが、沖縄戦でアメリカ軍が上陸した伊江島や読谷以南の酒造所の大半は破壊され、墓の中や地下などに避難させていた黒麹も職人たちが離散して放置されたため、戦火を免れた名護以北でも再建が遅れたことが大きいようです。
これほどの美酒が身近にありながら九州、特に鹿児島出身者は実家から持ち帰る芋焼酎や蕎麦焼酎を殊更に愛飲していましたが、九州の焼酎は江戸時代になって琉球王家が島津藩主に献上する泡盛の酔い心地に感服して領内の酒蔵に製法を学ばせたことが発祥ですから対抗意識を持つこと自体が身の程知らずです。
  1. 2020/10/31(土) 13:10:49|
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