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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月24日・日本の地方自治を崩壊させた美濃部亮吉の命日

昭和59(1984)年の12月24日に「平成」の間に機能不全が悪化して破綻寸前に陥っている地方自治体の原因を作った美濃部亮吉東京都知事が死にました。80歳でした。
美濃部都知事は姓でも判るように天皇機関説を提唱し、軍部によって排斥された戦前を代表する憲法学者の美濃部達吉博士の長男です。ただし、美濃部博士は軍部と思想的に対立したため反体制左翼の学者と思われがちですが、実際は憲法学の王道を歩む保守的な学者であり、尊皇攘夷=神国思想の狂気に毒されていた軍部が「天皇は機関である」と言う法学的評価に過剰反応しただけで、美濃部都知事の亡国思想は父親の影響ではありません。
美濃部都知事は明治37(1904)年に東京で生まれ、東京師範学校付属の小中学校を卒業して宮城県仙台市にあった旧制・第2高等学校に進学し、昭和2(1927)年に東京帝国大学経済学部に入学しました。当時は大正デモクラシーの庶民の政治参加を求める気運にヨーロッパに留学した理数系の学者が持ち帰って京都帝国大学で拡散させたマルクス主義が結びつき、1917年(大正6年)のロシア革命によって労働運動が発生・激化していったため後発の東京帝国大学でも多くの学生が同調していました。
美濃部都知事も流行に乗り遅れることなく人間の精神性を認めない弁証法的唯物論によって社会を分析し、経営者による雇用を資本家による搾取と否定的にとらえ、経営者と労働者を対立的=敵対関係と断定するマルクス経済学に染まり、マルクスが予言している資本主義の崩壊を研究する学生生活を送ったのです。しかし、あまりにもマルクス主義を絶対的真理と信じ過ぎて相手構わず説教を弄するようになったため東京帝国大学経済学部でも反マルクスの立場をとる重鎮に嫌われ、父親が法学部の名誉教授を務めながら大学に残ることができませんでした。そのため父親が教授を兼務していた法政大学に就職し、戦後も経済学部教授としてマルクス経済学を教育する一方で、池田隼人内閣が進める所得倍増計画にもブレーンとして参画しました。
昭和35年から37年にNHK教育テレビで放送された「やさしい経済教室」に出演して父親が子供に語り聞かせるような優しい口調と学者らしからぬ整った風貌の「美濃部スマイル」で主婦層の絶大な人気を獲得したのです。そうして昭和42(1967)年の東京都知事選挙に社会党と共産党相乗りで出馬すると自民党と民社党が支持した立教大学総長と14万票の僅差で当選し、3期12年間の都政を取り仕切りましたが社会党と共産党を支持基盤としている以上、自治労には絶対服従で現在も残滓が見られる東京都の職員の異常な高待遇は美濃部都政の間に始まりました。また庶民の支持を維持するために潤沢な税収入を使って高齢者の医療費一律無料化などのバラ撒きを実行するとマスコミは「社会主義的福祉政策」と絶賛したため、それを羨望する住民の声に押されて税収が乏しい他の地方自治体も模倣しなければならなくなり全国的な財政破綻の原因になりました。
結局、東京都も過度のバラ撒きと公営ギャンブルの廃止に代表される硬直した財政運営によって美濃部都政末期には巨額の赤字を抱えることになりましたが、それでも都民=衆愚のマスコミの印象操作を鵜呑みにする軽率な投票行動は改まりません。
  1. 2020/12/24(木) 13:55:31|
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