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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月21日・大石順教尼の命日

1968年(昭和43)の明日4月21日は身体障害者の母と言われた大石順教尼・よねさんの命日です。
大石順教尼は11歳で京舞・山村流の名取りになるほどの天才で、明治36年・16歳の時には大阪で行われた内国勧業博覧会で三番叟を披露していました。ところがその才能に惚れ込んで養女にしていた遊郭・山梅楼の主・中川万次郎の錯乱により明治38年6月20日の深夜・同居人5人と共に斬られ両腕を失いました(5人は斬殺)。
その後は見世物小屋に売られ、手の無い芸妓として全国を巡業していた仙台で、籠の鳥がくちばしで雛を育てている姿を見て、口で字を書くことを思い立ち、練習して筆を咥えることが出来るようになったのですが、その時、字を知らないことに気が付きました。
そこで滞在地の小学校で読み書きを習い、やがて旅芸人生活をやめ、料亭を開きました。
始めは物珍しさで繁盛していた店も、やがて飽きられて経営に行き詰まり、そこで世を捨てるつもりで出家を願うのですが、持明院住職の藤村叡雲師は「尼になって逃れようとは何事か。妻となり母となり人としての悦びを知ってからだ」と突き放します。ところがこの言葉が現実になり、やがて売れない日本画家の山口草平と駆け落ちの末、結婚しました。
間もなく男女の子を授かりましたが、同時に日展に入選して作品が売れるようになった夫は愛人を作り、家に住ませるようになります。そして離婚、東京へ出て夫の仕事を手伝うことで覚えた絵を口で描くようになりました。それで生活が成り立つようになった頃、今度は関東大震災に遭遇します。そこで自分の無力さを覚り、出家を決意して昭和8年10月に真言宗で得度を受けます。
それからは戦地での傷病兵慰問や戦災孤児の育成に努め、戦後は復興の中で置き去りにされがちの障害者を守り、励ます活動に尽力しました。
似たような障害者と言えば手足のない中村久子さん、最近では乙武洋匡さんがいますが、順教尼は身体的障害だけでなく関東大震災や戦争、そして貧窮と家庭不和などの幾多の苦難に遭遇しながらも、立ち向かうのでも耐えるのでもなく、全てを受け容れ、昇華し切っていったのです。
順教尼は障害者たちにいつもこう言っていたそうです。「体の障害は仕方ない。しかし、心の障害者になってはいけない」と。
野僧も現在、重度身体障害者ですが、かつて順教尼の著書「無手の法悦(春秋社)」を熟読していたことが本当に救いになっています。
大石順教尼
口で書をものする大内順教尼(背景の書も同様)。
  1. 2013/04/20(土) 09:48:51|
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