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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月22日 第1次世界大戦でドイツ軍が毒ガスを使用した

第1次世界大戦中の1915年の明日4月22日、ベルギーのイーゼルでドイツ軍が初めて塩素系毒ガスを使用しました。
野僧は現役時代、戦時国際法(武力紛争関係法)の研究をしており、指導を受けていた教授からガイドブックの執筆を勧められ、出版社も紹介されたのですが、防府南基地・第1教育群の保全担当者に審査を依頼したところ内容が理解できずに放置され、その後、野僧自身が群本部の担当者になったため航空教育隊本部の担当者に再度、審査を依頼したものの同様の状態のまま転属になってしまいました(原稿は戻ってこなかった)。そして赴任した第6高射群第22高射隊で同様の依頼をしたところ、担当者が野僧のワープロのフロッピーを自分のワープロで使えるようにパソコンを扱える者にコピーを頼んだことでフロッピー内のデータが全て破壊されてしまいました。その後、海外で日本人が戦闘に巻き込まれて死亡する事件が頻発しましたから出版すれば売れたかも知れません。
戦時国際法と言うと1864年発効のジュネーブ条約が代名詞になっていますが、これは主に捕虜の待遇、文民の保護、傷病者・戦死者の処置などの人道に関する条約で、戦闘の禁止規定などは1899年の第1回万国平和会議で採決された「陸戦ノ法規慣習ニ関スル条約」=ハーグ条約です。この条約は1907年の第2回会議で捕虜、傷病者の扱い、宣戦布告、戦闘員と非戦闘員の定義、捕虜・傷病者の扱いなどが加えられ、日本も1911年11月6日に批准しています。
1914年から1918年の第1次世界大戦は多くの意味で戦争の様相を変革させました。
戦車、戦闘機などの新兵器の登場もそうですが、毒ガスの使用もそれまでの砲、銃、剣での殺傷以外は火攻めくらいだった戦闘をより悲惨なモノにしました。
毒ガスの使用はたちまち双方の応酬になりましたが、初期の防毒マスクは口と鼻を覆うだけで、目を保護することが出来ず、失明する兵士が多数出ました。このため戦後、毒ガスの使用禁止の規定が加えられ、その後も戦時国際法の抜け穴を突いた兵器、戦術が登場するたびに禁止規定を加えるイタチごっこを繰り返し、現在では個別の禁止条約を制定するようになっています。
毒ガスは日本軍が大東亜戦争の大陸戦線で使用し、現在も残留容器の処理が問題になっており、米軍も沖縄のひめゆり部隊の病院壕などで使用しています。
では何故、第1次世界大戦後に禁止された毒ガスが現在も製造・保管され続けているのかと言うと、それは戦時国際法の復仇(ふっきゅう)と言う処罰原則によります。
戦時国際法では敵に違反する行為があった場合、それを受けた側には同程度の違法行為をやり返す権利が生じるのです。つまり相手が毒ガスを使用した時、使用し返して罰するために製造・保管されているのです。
ところで日本が世界屈指の化学兵器を製造する能力を有する国だと言うことを御存知でょうか?それは殺虫剤や農薬のことで、現在、製造している虫や雑草にしか効かないように薄めている薬剤を、人を殺傷し得る濃度に調整すればいつでも転用できるのです。
地下鉄サリン事件の時、自衛官は「毒ガス?」と察知して屋外へ逃げたそうですが、民間人は苦しんでいる人を助けようとして多くが巻き込まれました。人道上の可否とは別に危機に対する知識としての問題が残ります。
また、戦時国際法には国家に対して軍人に限らず広く国民に普及する義務があるのですが、自衛隊でも審査に手間取って放置するレベルですから、「捕虜を捕まえたから軍法会議をやれ」と言われても判事、検事、弁護人が見つからないかも知れません。
  1. 2013/04/21(日) 09:40:54|
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