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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月29日・昭和の青春!篠島の吉田拓郎コンサート

野僧が高校3年=生徒会長だった昭和54(1979)年の明日7月26日に三河湾に浮かぶ篠島で吉田拓郎さんのコンサートが開かれ島民の10倍の2万人が集まりました。
野僧の蒲郡高校の生活指導部は夕方7時から翌朝4時までのコンサートは深夜徘徊になるため生徒の参加を容認できず生徒会に自粛させるように言ってきたのですが、副会長を含む多くの生徒がチケットを購入していることを把握していたので野僧は生徒会長として板挟みになり、妥協案として「他校の生徒や大学生、社会人とのトラブル防止」「飲酒の厳禁」「不純異性交遊の自粛」と言う注意事項を通知しました。さらに副会長に監視係を命ずると参加できなくなった後輩のチケット(=3000円)を野僧に売りつけ、生徒会長が監視係=引率者と言うことで生活指導部も黙認することになりました。結局、夕方になって師崎から連絡船で篠島に渡ったものの2万人の観衆の中で私服の生徒を確認するのは不可能でした=生徒指導部ではない男女の教員もアベックで来ていた。
こうして日が陰ってきた7時前から恒例(と副会長に聞いた)の337拍子と共にコンサートが始まりましたが、最初はレコードの「ローリング30」、そして本人が登場して「ああ青春(ドラマ『俺たちの勲章』の主題歌)」、それからは記憶にあるところで「伽草子」「されど私の人生」「襟裳岬」「結婚しようよ」「まにあうかもしれない」「歌にはならないけれど」を短い喋りを入れながら熱く唄いました。観衆も手拍子で応じ、次第に会場は一体化して日没後の海からの風が冷却しなければ炎上するような雰囲気でした。
ここでブラスバンドの演奏で小休止が入り、続いて記憶にあるところでは「春だったね」「人生を語らず」「ビートルズが教えてくれた」「たどり着いたらいつも雨ふり」「今日までそして明日から」「ペニーレインでバーボンを」「たえこマイラブ」、2部の最後に「洛陽」を唄いながら「70年代が終わって80年代に入ることへの焦りがこのコンサートを企画した動機だ」と語りました。つまりそれまで若者に独立した個人で生きることを説いてきた拓郎さんがこのコンサートでは一体感を強調している理由を明らかにしたのです。
ところがゲストの長淵剛くんが登場すると観衆からブーイングが起こり、それに長淵くんが「俺の唄が聞きたくない奴は帰れ」と応じたためかなりの人数が会場から出ていって港に向かったのですが、連絡船は運航していないので素人のギター演奏で拓郎さんの歌を合唱し始めました。結局、係員が駆けつけて「会場に戻るように」との拓郎さんのメッセージを伝えて事なきを得ました(出ていった生徒からの伝聞情報)。その頃、野僧が残った会場ではもう1人のゲストの小室等さんが熟練のステージを堪能させてくれていました。
2時から始まった最終幕でも記憶にあるところで「知識」「イメージの詩」「流星」「旅の宿」「夏休み」「舞姫」「どうしてこんなに悲しいのだろう(野僧が一番好きな歌)」「外は白い冬の夜」などが続き、3時半頃に拓郎さんが「サンキューッ、唄ったか?俺よりでけェ声で唄えよ。それではやらねばならん曲が・・・」と言った後、定番の「人間なんて」が始まり、全員が燃え尽きました。昭和の青春は熱く汗臭かった!
余談ながら2学期の文化祭の会長挨拶では女生徒から「拓郎を唄って」とリクエストが飛び、ステージで「人生を語らず」を唄う羽目になりました。
  1. 2021/07/25(日) 14:25:50|
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