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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月16日・アイガー北壁日本人初登攀と遭難死

昭和40(1965)年の明日8月16日にモンブラン山塊のグランド・ジョラス、マッターホルンと共にアルプス3大北壁と呼ばれ1934年から1958年までに25回の挑戦を受け、13回67名には登頂を許したものの15名の命を奪ってきたアイガーの北壁に挑戦した高田光政さんと渡部恒明さんの日本人登山家のうち渡部さんが山頂から300メートルの高さから直下1400メートル墜落し、残った高田さんが救助を求めるための最短ルートとして山頂に登攀して成功を収めた栄光と悲劇が同時に起こりました。
渡部さんは昭和11(1936)年に福岡県飯塚市の生まれで29歳、登山は家業を手伝いながら高校の定時制に通っていた17歳から始めたので12年目でした。
標高3970メートルのアイガーはユングフラウ、メンヒなどのオーバーランド3山の北側で直下1800メートルの北壁が挑戦者を拒むように聳え立っています。山自体は1858年に他の連山を辿る南方向から登頂されていますが、北壁については1938年になって別々に登り始めたが途中で合流したドイツとオーストリアの登山隊がようやく初登頂しています(それまでの挑戦者は敗退させた)。
日本人では1963年に芳野満彦さんと渡部恒明が初挑戦しましたが渡部さんが100メートル付近から墜落して失敗、この時は深い雪の上だったため九死に一生を得ています。そして事故の10日前の1965年8月6日に芳野さんとマッターホルンの北壁の日本人初登頂に成功すると無謀にも相棒を高田さんに変えてアイガーに挑戦したのですが、山頂から300メートル付近で落石を受けて宙吊りになったためザイルの上になった高田さんがそのまま山頂に向かい救助を呼ぶ間に墜落して死亡しました。遺骸は麓で収容されて荼毘に伏され、遺骨は高田さんが抱いて帰りました。
このため高田さんが「自分だけが助かるためにザイルを切ったのではないか」と言う疑惑(行為自体は違法性阻却事由の「緊急避難」に該当する)と「渡部さんが骨折の激痛と救助の困難さを察して自らザイルを外した」と言う推理が登山家の間だけでなくマスコミにも書き立てられ、この事故を題材にした新田次郎さんの実名小説「アイガー北壁(短編14作と一緒に刊行された)」が大ヒットすることになりました。
アイガー北壁での救助は1957年にイタリアとドイツの4人の登山隊が挑戦し、イタリアの2人が山頂から320メートル付近で疲労のため動けなくなったため救助隊が山頂からザイルを垂らして1人を救助したのが最初で、もう1人は収容不能だったので2年間も宙吊り状態で放置され、登山者たちが脇を通って登攀し、下から観光客が望遠鏡で眺める名物として晒されることになりました。ドイツ隊の2人も行方不明だったのでマスコミはこぞって生還した1人に非難を集中させましたが、4年後に山頂付近で遺体が発見されて2人が登頂に成功していたことが確認されました。
アイガー北壁の山頂から300メートル付近の岩壁には生没年月日と日本語・英語で「われらの岳友渡部恒明ここに永遠に眠る」と記したパネルが日本人登山家の手で打ち止められています。
アイガーアイガー北壁(季節は春)
  1. 2021/08/15(日) 14:08:34|
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