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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月12日・宗道臣の命日

1980(昭和55)年の明日5月12日に金剛禅・日本伝少林寺拳法の開祖・宗道臣(本名・中野理男)師が死去しました。
開祖が亡くなって数カ月後に野僧は高松、善通寺、金毘羅、祖谷渓、高知などの四国を長期旅行したことがありますが、多度津の少林寺には開祖の遺骨が納められている大雁塔がわずか半年の突貫工事で建立されていました。後年、野僧は航空自衛隊に入り、日本拳法から少林寺拳法に移ることになりますが、この時はただの観光客でした。
少林寺拳法は当時の国鉄職員と善通寺の陸上自衛官が多数門弟になったため、国鉄職員の異動で四国の国鉄沿線沿いから西日本に流れ、陸上自衛官の転属でいきなり北海道に伝わって、そこから全国に広まったようです。
ただ、当時の国鉄職員には左翼過激派である国労組合員もいたため、税金泥棒、憲法違反と批判されていた自衛官とあまり仲がよくなくて、開祖も門弟の思想教育には気を使っていたそうです。
また、開祖の技は非常に軽い円運動で、例えば相手の攻撃を受けるにも、腕で払うだけでなく、体重を移して身体を逃し、受けた後、自然に反撃をするようなものだったそうです。
その点、他の武道出身者、特に陸上自衛官の銃剣道は直線的な動きなので、手足の動きだけしか身につかず、それが北海道に伝わり、そこを起点に全国の自衛隊へ広まったため現在では空手などとあまり変わらない日本的な形になってしまったようです。
このため少林寺拳法は中国武術であるとすることを否定しようとする他の武道流派は少林寺拳法の技は開祖が日本の柔術から模倣したモノであると主張していますが、剛法でも突きに対する防御は、掌で相手の拳を受け流す日本拳法と比べて、少林寺拳法は前述のように身体を逃がしながら腕を使って跳ね上げますから、本質的な点で相違があります。
柔法でも関節を押し曲げることが中心の合気道に比べ、支点を固定した捻りであり、経絡秘孔(ツボ)を圧迫する効果も狙っていて、やはり構造が違うようです。
ちなみに経絡秘孔は強く力を加えれば攻撃ですが、適度に刺激すれば整法(整体マッサージ)になります。ただ、少林寺拳法の整法は一般的なスポーツマッサージと逆の動きをすることもあり、両方習った野僧としては施術に迷うところです。
少林寺拳法は占領下、武道が禁止されていた時期に宗教法人として発足したこともあり、聖句、道訓などの教典を稽古の前に唱和ますが、この聖句は法句経(ダンニパタ)の第160句と165句であり、道訓は佛教よりも中国の道教に通じるように思っています。

聖句
己こそ 己のよりベ 己をおきて 誰によるべぞ よく整いし己こそ まこと得難きよるべなり

自ら悪を為さば自ら汚れ、自ら悪を為さざれば自らが浄し、浄きも浄かざるも自らのことなり、他のものによりて浄むることを得ず

道訓
道は天より生じ、人と共に由る所とするものなり。その道を得れば、以て進むべく、以て守るべく、その道を失すれば、即ち迷離す。故に道は、須臾も離るべからずと、いう所以なり。人生まれて世にある時、人道を尽すを貴ぶ、まさに人道に於て、はずる処なくば、天地の間に立つべし。若し人あり、仁、義、忠、孝、礼の事を尽さざれば、身世に在りと雖も、心は既に死せるなり、生を偸むものとゆうべし、凡そ人心は、即ち神なり佛なり、神佛即ち霊なり、心にはずる処なくば、神佛にもはずる処なし、故に一動一静、総て神佛
の監察する処、報鶯応昭々として、毫厘も赦さざるなり、故に天地を敬い、神佛に礼し、祖先を奉じ、双親に孝に、国法を守り、師を重んじ、兄弟を愛し、朋友を信じ、宗族相睦み、郷党相結び、夫婦相和し、人の難を救い、急を援け、訓を垂れて人を導き、心を至して道に向い、過を改めて自ら新にし、悪念を断ちて、一切の善事を、信心に奉行すれば、人見ずと雖も、神佛既に早く知りて、福を加え、寿を増し、子孫を益し、病減り、禍患侵さず、ダーマの加護を得られるべし。
  1. 2013/05/11(土) 09:46:06|
  2. 日記(暦)
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