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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月13日・足利義満の勘合貿易が始まる。

1401年(応永8)年の明日5月13日に足利義満が遣明使を派遣し、勘合貿易が始まりました。
足利義満と言えば一休さんに一本取られる「将軍様」ですが、年齢差から言うと一休さんが小坊主だった時には隠居・出家していたので頭は剃っていたはずです。ついでに言えば一休宗純禅師の小坊主の頃の名前は「周建」でした。
将軍様
中国と日本の国交は宋の時代には盛んでしたが、モンゴルの圧迫に追い詰められた宋からの亡命者の一方的な情報を鵜呑みにした執権・北条時宗の判断ミスで起こった元寇で断絶し、その後、足利尊氏が南北朝の戦没者供養のため天龍寺の創建を発願し(一説によれば後醍醐天皇の幽霊に悩まされたため)、その資金獲得のための造天龍寺宋船(この時代も中国と往復する船は唐船や宋船と呼ばれていました)で貿易を再開したものの倭寇によって途絶、明によって漢民族の国家が再興してからも倭寇の被害が続き外交は進展できませんでした。
そこで義満は明から招いた外交使節を最大限に款待したばかりでなく、日本の朝廷よりも明国皇帝に忠節を尽すとまで表明したそうです。
ですから義満は明の皇帝から「日本国王」の称号を与えられ、印も授けられたのですが、日本の天皇は中国や朝鮮では皇帝と認められておらず、あくまでも国王扱いですから義満はこれと同格になってしまったのです。この頃の足利将軍家は南北朝の混乱を終息させた実力者として立場はかなり強まっていましたが、取って代わろうとした訳ではないでしょう。
このことは秀吉の朝鮮侵攻で断絶していた韓国との国交を江戸幕府が回復する時にも、将軍の称号をどうするかで政治問題になりました。外国で将軍は軍の高級幹部に過ぎず、政治的権限は有していないため通用せず、間に立っていた対馬の宗家は無断で「国王」の称号に改ざんしたのです。結局、紆余曲折の末「大君(たいくん)」と言う称号が作られました。
勘合貿易と言うのは、倭寇の海賊船と公式な貿易船を見分けるために日明双方で切り分けた勘合札を持たせたことによります。
その程度の審査票が偽造されなかったと言うのは少し信じがたいですが、それが有効に機能したから江戸時代に明が滅びても清に引き継がれても交易は続いたのでしょう。
これは中国には媚を売れば仲良くなれると言う好例でしょうか?ヒョッとして外務省はいまだにそれを踏襲しているのかも知れませんな。
  1. 2013/05/12(日) 00:08:43|
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