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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ2442

「エプロンにパトルイユ・ド・フランスが駐機しているわ」梢が、本当は私も待ちに待った7月25日、アムステルダム空港からフランスを縦断してペルピニャン・リヴサルト空港に着いた私たちは機内から広くはないエプロンの隅に駐機している6機のパトルイユ・ド・フランのアルファ・ジェットを見つけて無邪気に歓声を上げてしまった。アムステルダム空港からペルピニャン・リヴサルト空港までの直行便はリゾート客を対象にした夏季限定の朝夕往復2便しかなく到着したのは昼前で、展示飛行するサン・シプリアンに移動することは諦めていた。
「アクロはウォーク・ダウンって言う飛行前点検も演技なんだ。会場じゃあないからやらないかも知れないけど期待しよう」「離陸するのを見送るだけかと思ったけど1つ楽しみができたわ」私の説明に梢も微笑んでうなずいてくれた。ウォーク・ダウンは列線整備員が機体の前で待ち、その前をパイロットが横隊で行進してきて1人ずつ自分の機体に分かれる入場からエンジンを起動させての飛行前点検=ランナップ、そして誘導路に向かって走り始めるタクシングまでの一連の手順を演技化したものだ。実は私の一般空曹侯補学生の卒業前の課程の区隊長は元ブルー・インパルスの列線整備員で、ウォーク・ダウンを演じていただけに基本教練は見事だった。
「貴方はどちらの軍ですか」こちらも広くはない到着ロビーの売店のカウンターで洒落たパイロット・スーツを着た軍人がカフェ・オーレを飲んでいた。軍人は迷彩服を着ている私に気がつくと笑顔で招き寄せ、英語で声をかけてきた。
「日本のグランド・ジエータイで階級は2佐だよ」「これは失礼しました」私の返事に軍人は陶製のマグカップをソーサー(皿)に置くと立ち上がって敬礼した。パイロット・スーツの胸のパイロット徽章の下の階級章は少佐なので当然の儀礼だ。
「貴方はパトルイユ・ド・フランスのパイロットですね。会えて光栄です。妻が大ファンなので握手してやって下さい」「こんな美しいマドモアゼルと握手できるとは幸運です」少佐は1歩踏み出すと梢が差し出した手を握ったついでに頬にキスをした。私もオージェ大尉に何度かフレンチ・キスされているので文句は言えないが梢は固まってしまった。
「パイロットが何かを口にしていると言うことは離陸まで時間があるんですね」梢が立ち直るまでに私はフランス国民にとっては英雄であるパトルイユ・ド・フランスのパイロットに出演予定を確認する暴挙に出た。戦闘機パイロットは飛行中に強烈なG(圧力)がかかるため胃の内容物を吐いてしまうことがあり、航空自衛隊でもパイロットは飛行前の飲食を控えていた。
「いいえ、私はスタンバイなので余裕があるんです。ミッションは間もなく始まりますよ」「ウォーク・ダウンが始まってしまう」私が焦りながらも英語で話すと少佐は苦笑して首を振った。
「ウォーク・ダウンと言うのはアメリカのチームがやる飛行前点検の出し物ですね。しかし、我々だけでなくヨーロッパの各チームは採用していません。我々はあくまでも空での演技で観衆に感動を与えるんです」この説明で私が先ほど梢に持たせた期待が空手形だったことが判った。日本では自前のブルー・インパルス以外のアクロバット・チームと言えばアメリカ海軍と海兵隊のブルー・エンジェルスと空軍のサンダーバーズになるが、歴史と伝統はヨーロッパの方が長く、アメリカとは異質でより高度な演技を磨いているのかも知れない。
「それじゃあ昼飯は後にしてデッキで見送りだ」「有り難うございました。おかげで助かりました」「ウィ」私が声をかけると梢はフランス語で少佐に礼を言った。すると少佐は両手を肩に伸ばしたが梢は身を翻して拒否した。この流れは唇へのキスなので正解だ。
「貴方も沖縄ではAPGヘルパーだったからあのアクションは懐かしいでしょう」「蛸踊りね・・・センスなかったよ」展望デッキに上り、自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながら駐機場を見ていると建物の中から出てきた整備員たちが機体に取りついて準備を始め、エンジンを起動すると先ほどの少佐と同じ服装のパイロットたちが機体の前で整備員から説明を受けてコクピットに乗り込んだ。私には第83航空隊時代を思い出させる光景だった。ただし、総合演習で集合訓練を受けた列線製備員の見習い=APGヘルパーは手の動きでパイロットと意思疎通を図るには指が短く、動きが固くて全く上達しなかった。
「行ってらっしゃーい」ランナップを終えた5機のパトルイユ・ド・フランスは製備員の敬礼と梢の見送りを受けて誘導路を走っていった。続いて滑走路のエンド(端)でエンジンを吹かす轟音が響き、間もなく1機ずつ離陸していった。
「ドーン」離陸していく1機の機体が浮上しないことに気づいた私が那覇基地で目の当たりにしたTー33Aの事故を思い出すのと同じように逆エンドのコンクリートの壁に突っ込んだ。しかし、衝突前にパイロットはベイル・アウト(射出脱出)して無事に開いた落下傘で地上に生還した。安堵の溜息をついた私の胸にあの事故で殉職した本江2尉の顔が浮かんだ。
84・6・21・T-33事故1984年6月14日・那覇基地での事故
  1. 2021/10/26(火) 14:15:41|
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