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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ2446

「あの時のお客さんだッ」6月9日は商売繁盛の日曜日だが雨傘革命以上の規模の市民デモが行われているため美恵子の理容店は午前で開店休業になり、掃除や道具の手入れを終えると手持無沙汰で、それを紛らすため待ち席でテレビの現場中継を眺めていた。するとテレビはデモ隊の中で大きなイギリスの国旗・ユニオンジャックを掲げている若者をアップにした。
「金髪でイギリスの旗なら似合うわね。恰好いいわ」美恵子にとって民主化デモは商売の邪魔をする迷惑なイベントに過ぎず、自分の仕事がテレビに映ったことで多少は腹が癒えたものの自信作の金髪が宣伝にならないのが不満だった。
「イギリス国旗を掲げている参加者がいますね」「2014年の暴動では我が香港特別行政区の民主化と称して立法会の議員の選挙権を要求していましたが、今回はイギリスの植民地への復帰になっているようです」美恵子はテレビ局の政治的立場や報道上の主張に興味はなく、午前中の役人の客が見ていたままスイッチを入れたので体制側の放送局だった。当然、アナウンサーと解説者は特別行政区当局の代弁者であり、インテリ層の客の間ではイギリスのBBCなどが名づけた「雨傘革命」が定着している2014年の民主化運動も「暴動」と揶揄したが、デモが嫌いな美恵子にはむしろ悪口の方が耳触りは良い。
「あのイギリス国旗を持っている若者は金髪ですが、イギリス人なんですかね・・・さらに画面がアップになりました」「顔立ちは香港人のようです。つまり自分はイギリス人になりたいと言う意志表明なんでしょう」この2人の会話を聞いて美恵子は身体を起こして快哉を叫んだが、やはり宣伝にならないことに気づいて舌打ちをした。
「デモに参加している若者たちは学校で香港がイギリスに奪われた歴史的経緯を学ばなかったんですかね」「そうです。香港はイギリスが清朝に麻薬の阿片を持ち込んで宮廷の役人を中毒にして、それが民衆にも蔓延したため輸入を禁止して阿片を焼き払ったことを口実にして武力攻撃を加えたのが発端です。結局、産業革命と帝国主義を経験しているイギリスの近代的な兵器に清朝は敗北して香港は植民地として奪われたのです。それを考えればイギリスの植民地であった過去は民族の恥辱であって、香港人はようやく母国に還れたことに歓喜して、それを実現してくれた鄧小平同志の中国共産党に絶対的な忠誠を誓わなければならないんです」おそらくこれが特別行政区当局の認識なのだが美恵子には他人事に過ぎない。
「今度はアメリカの国旗ですよ。隣りにはプラカードを掲げている参加者がいますが・・・画面がアップになりました」「幇助特朗普総統、アメリカのトランプ大統領に助けを求めているんですよ」アナウンサーに話をふられた解説者は呆れたような口調で説明した。
「しかし、香港市民がアメリカの大統領に助けを求めるのはどう言う意味なんでしょうか」「下手すれば軍事作戦で香港を占領して現在の特別行政区を排除してイギリスやアメリカ式の自由主義社会を実現してくれと願っているのかも知れません」アナウンサーとの掛け合いで解説者の口調は急に苦々しくなった。普通に考えれば民主化デモの参加者は単にイギリスやアメリカ式の民主主義に憧れて国旗を掲げたと理解するべきだが、この解説者にかかれば民主主義の守護者を任ずるアメリカの軍事力による分離独立を期待していることになってしまった。
「あの子たちもウチのお客さんじゃない」アナウンサーと解説者の説明には耳を貸さず、美恵子は身を乗り出して画面の若者の顔を注視した。それはやはり5月下旬から6月初旬に来店した客たちで、金髪にした若者と同じように短髪を無造作に伸ばした頭を香港の若者の間で流行している毛の色と髪型にしていった。こちらが周囲に溶け込んで違和感がないのも注文通りで、それも美恵子の仕事の実力だ。しかし、これも宣伝にはならない。
「今回の香港の暴動は祖国を裏切ってイギリスの植民地に戻ることを要求しているようです」「さらにアメリカの軍事力によって占領され、支配下に置かれることを念願しています」日本の経団連の全面支援と戦後日本の経済政策の模倣で驚異の経済発展を遂げた中国国内では一般家庭にもテレビが普及し、中国共産党の宣伝媒体の国営放送とは言え夕方のニュースを見る習慣が定着している。日曜日の夕食を囲みながらニュースを見ていた父親が怒声を上げた。
「我が人民解放軍は今やアメリカ帝国主義などに屈しはしない。香港の人間はイギリスによる阿片戦争の屈辱を忘れているのか。日本を敗北させながらイギリスに奪い返されることに抵抗をしなかった背信行為を自覚していないのか」50歳代の父親は長年連れ添った妻だけでなく20歳代になった息子も中国共産党の公安機関への密告を警戒しなければならず、中国共産党の公式見解通りの建前しか口にできないが、デモの参加者が子供の頃から学校教育で「悪しき宿敵」と習ってきたイギリスとアメリカの国旗を掲げて歩く映像を見て、内心では共感していた香港の民主化運動に裏切られたような失望感を抱いていた。
  1. 2021/10/30(土) 15:19:39|
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