fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月31日・スターリンの遺骸がレーニン廟から撤去された。

1961年の明日10月31日に赤の広場のレーニン廟に安置されていたヨシフ・スターリン書記長の遺骸がクレムリンの城壁に在る英雄墓域に改葬されました。
レーニン廟はソビエト社会主義共和国連邦当時の国家的式典での観閲行進=軍事パレードの演説台・観閲台になり、その立ち位置で指導部の序列が判別できるため西側のマスコミも注目していましたが、ソ連が崩壊して共和制ロシアになってからも赤の広場での国家的行事では演説台・観閲台として使用されています。
レーニン廟は1924年1月21日にロシア革命を亡命先から遠隔操作していたウラジミール・レーニン人民委員会議長が死亡すると木製の墓所が設けられ、遺骸を収めた棺が仮安置されましたが、厳冬期にも関わらず6週間で全国各地から10万人の市民が拝観に訪れたため、共産党指導部は革命後の内戦で損壊した建物をソ連共産党好みに改修・改築したアレクセイ・シューセフさんの設計による木製の墓所を建設し、追悼式典後は埋葬する予定だった遺骸に永久保存するためのエバーミングを施してレーニン議長個人の人気を市民の支持を維持する道具として公開することを決め、1930年から現在の古代エジプトのジョセル王や古代ペルシャの大キュロス帝の階段状ピラミッドを参考にした石造りの墓所を建設したのです。この時、権力を確立していたヨシフ・スターリン書記長が内部に自分の遺骸を並べて安置するように設計させていたのかは不明ですが、撤去されるまで大規模な改修もなく2人の遺骸が並んでいたのは確かです。
一方、レーニン議長の遺骸に施されたエバーミングは火葬が一般的な日本やイギリスでは死亡後の遺骸の洗浄(病院用語のエンジェルケア)や表情を整え、生前の顔色に近づける死化粧(映画「おくりびと」の納棺師の業務)を意味しますが、土葬に固執する欧米では古代エジプトのミイラにも通じる腐敗防止の処置が行われています。先ず血液などの体液を抜いて替わりに可能な限り液状防腐剤を注入し、消化器系の内臓を除去して防腐剤を挿入します。レーニン議長は初期のエバーミングだったため維持・管理に専門の担当者と巨額な経費を必要とするようでロシアの民主化団体が撤去を要求する理由にしています。その後もアジアの社会主義国ではベトナムのホー・チ・ミン廟や共産党中国の毛主席祈念堂、北朝鮮の太陽宮殿が建設されていますがエバーミングはどこまで発達したのでしょうか。
スターリン書記長の遺骸の撤去は1956年2月9日のソ連共産党の第20回党大会でニキータ・フルシチョフ第1書記が発表した「個人崇拝とその結果について」=スターリン批判が国内外で大きな波紋を呼び、共産党内でも賛否が分かれて対立が公然化したため対応に苦慮したフルシチョフ第1書記がその鎮静化のために信奉者の象徴である遺骸を目につかない地中に埋葬したのです。この時、火葬=遺骨にしなかったのは共産党内の対立の激しさに腰が引けたのでしょう。
スターリン書記長が改葬された英雄墓域には現職で死亡したブレジネフ書記長、アンドロポフ書記長、チェルネンコ書記長も埋葬されていますが、フルシチョフ第1書記は無神論者だったにも関わらずモスクワ市内の修道院です。あきらかに嫌がらせでしょう。
  1. 2021/10/30(土) 15:22:08|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ2447 | ホーム | 振り向けばイエスタディ2446>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/7249-39245d89
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)